この記事では、「逃がした魚は大きい」と「逃した物に小さい物なし」の違いを分かりやすく説明していきます。
「逃した魚は大きい」とは?
自ら逃してしまった獲物が実は素晴らしいものであり、大きくて身がしっかり詰まっていたという意味で使われる言葉が「逃した魚は大きい」【にがしたさかなはおおきい】です。
身近にあるときはさほど大きいと感じなくても、海に逃した後よく見ればどの獲物よりもサイズが大きいと気が付きます。
このような意味から、一度手にしたのに、手放したものこそ意味があるという意味になるわけです。
「逃した物に小さい物なし」とは?
手にした物を逃した後、価値が小さくて後悔するという意味で使われている言葉が「逃した物に小さい物なし」【のがしたものにちいさいものなし】といいます。
手に持ったときはそれほど大きい獲物だと思わなくても、逃した後にとても価値あると気が付くのです。
このようなところから、手放す前にどのような価値があるか調べた方がいいという意味で使います。
「逃した魚は大きい」と「逃した物に小さい物なし」の違い
「逃した魚は大きい」と「逃した物に小さい物なし」の違いを、分かりやすく解説します。
簡単に手放した獲物こそ実は大物であったと思うことわざを「逃した魚は大きい」といいます。
それほど自ら何も考えずに手放すのは間違っているという状況で使われている言葉です。
もう一方の「逃した物に小さい物なし」は、価値がないと思って手放した物こそ実は後からになって評価される素晴らしいものであるため、よく考えてから手を切るのが大事という意味で使われています。
「逃した魚は大きい」の例文
・『後に大物政治家になるとは、逃した魚は大きかった』
・『億万長者になった彼女を振り逃した魚は大きいと感じた』
「逃した物に小さい物なし」の例文
・『土地の価格を調べずに売ったのは、逃した物に小さい物なしだ』
・『逃した物に小さい物なしで、価値を調べてから骨董品は手放している』
まとめ
とても似ていることわざですが、「魚」と「物」に違いがあります。
言葉の意味を深堀して、どういった場面で使えばいいか学んでみるのもいい勉強方法になるでしょう。