この記事では、「私見」と「主観」の違いを分かりやすく説明していきます。
「私見」とは?
「私見」は「しけん」と読み、個人的な意見を意味する言葉です。
「私」の「意見」あるいは、「私」の「見方」という捉え方もできそうです。
「私見」は自分ひとりの意見であるため、私見ばかり主張し過ぎてしまうと周囲との調和が難しくなり、コミュニケーションがうまく行かなくなる恐れがあります。
また、相手の意見を尊重しなければ、様々な意見や物事の捉え方を受け入れられなくなるため、視野の狭い意見となりがちです。
「主観」とは?
「主観」は「しゅかん」とよみ、私見を元にした考え方や判断を指す言葉です。
個人的な意見や考え方で構築された論理、またその振る舞いについて「主観的」と表現することができます。
主観のメリットとしては、個人的な意見やアイデアを元にした独自の表現ができることが挙げられます。
他者の意見に流されず、自分なりの考えを提供すべき場は多いものです。
デメリットとしては、自分なりに解決して判断するケースが多いため、思い込みや誤解などにより事実と異なる場合があることが挙げられます。
それを調和してくれるのが、「主観」の対義語「客観」です。
「私見」と「主観」の違い
「私見」と「主観」は、どちらも個人的な物事の見方や意見を意味する言葉ですが、ニュアンスに違いがあります。
「私見」は、個人的な意見そのものを指し、「主観」はその「私見」を元にした考え方や判断を指します。
例えば、「私は寒いと感じている」は「私見」にあたり、「寒いから冷房の設定温度を変える」は「主観」といえます。
「私見」を元にして「主観的」な行動に移したわけです。
しかし、同居している人はそう感じていないかも知れません。
そこで、「客観的」な判断として、「少し寒いから冷房の設定を変えてもいい?」と周囲に尋ねてみる。
ここに、調和とコミュニケーションが生まれています。
まとめ
いかがでしたか。
「私見」と「主観」は、どちらも個人的な意見に関する言葉ですが、ニュアンスに違いがあります。
「私見」と「主観」ばかりを頼りにすると、「ひとりよがり」となりかねません。
「客観的」な判断も合わせて、バランスを取っていきたいものです。