仕事においてチームでタスクをこなしていると、場合によっては関係者の意見が合わないことがあります。
多くの場合はそれぞれの人が持っている「思惑」が違うことからくるものですが、そんな時には最初の目的に立ち戻って関係者の意識を統一する必要があるでしょう。
それでは、この「思惑」とはどういう意味でしょうか。
また、「見当」とは、どう違うのでしょうか。
この記事では、「思惑」と「見当」の違いを分かりやすく説明していきます。
「思惑」とは?
「思惑」とは、「おもわく」とよみ、一般的には、その件に関して、その人が意図していること、想像していること、あるいはそうなれば良いと思っていることを指すものです。
「思」は「思う」、「惑」は「判断が難しくて困る」という意味の漢字なので、もともとは「判断ができないことを思う」という意味で、そこから「こうなるだろうと思う」という形に変化したと考えられます。
「見当」とは?
「見当」とは、「けんとう」と読み、一般的には「何かに関してそうなるであろうとあたりをつける」ということを意味する表現です。
よく使われる「見当が外れる」という言葉は、「そうなるだろうと思っていたことが実際にはそうならなかった」ということを表します。
「思惑」と「見当」の違い
「思惑」と「見当」の違いを、分かりやすく解説します。
この2つは、「そうなると思っている」という部分では同じですが、どこに違いがあるのでしょうか。
この2つの違いを最も簡単に説明するなら、「そうなる」という部分に、本人の希望が含まれているのが「思惑」であり、客観的なのが「見当」ということになるでしょう。
したがって、「思惑」には本人の意識が強く反映されるが、「見当」には事実から想像できることのみが含まれるということです。
「思惑」の例文
・『あの人は自分の思惑が外れたことで、がっかりしています』
・『個人的な思惑だけで行動するのは危険です』
「見当」の例文
・『先の状況の見当をつけて現在のやり方を検討すべきです』
・『初めての作業なので、どのくらい時間がかかるのか見当もつきません』
まとめ
この記事では、「思惑」と「見当」の違いを、解説してきました。
序文でも述べたように、これらの言葉は私たちの身近にあります。
この機会にこれらの正しい使い方を勉強しておきましょう。