この記事では、「諸行無常」と「諸法無我」の違いを分かりやすく説明していきます。
「諸行無常」とは?
諸行無常は、しょぎょうむじょうと読むべき言葉です。
漢字で記されたこの言葉を目にすれば分かる事でしょうが、この世の一切の事物や現象等といった意味を持っている諸行の漢字に、一切のものは生じたり滅したりして一定ではないという意味を所有する無常の漢字を組み合わせる事で完成した言葉となっています。
以上の事から諸行無常は、世の中にものは常に変化し生滅しており、永久不変なものは存在しないという意味を示すのです。
「諸法無我」とは?
諸法無我は、しょほうむがと読むのが正解な言葉となっています。
漢字で書かれたこの言葉を見れば理解出来る事ですが、この世に存在している有形無形の全てのものといった意味の諸法の漢字に、私心とか我欲等の意味をがある無我の漢字を付け足す事で成立した言葉です。
だからこそ諸法無我は、宇宙に存在している事物には、永遠不変な本性である我は存在しないという事を表します。
「諸行無常」と「諸法無我」の違い
諸行無常と諸法無我の漢字表記を並べて比較してみると、行と常に、法と我という漢字の違いがある事に直ぐに気付けるものです。
所が他の2文字は全く同じで、似た様な印象を受ける言葉同士なので、混同する恐れはないとは言えません。
とはいえ諸行無常は、世の中の全てのものは常に変化していて、不変なものはない、という意味を示すのです。
もう一方の諸法無我は、宇宙に存在するあらゆる事物には不変の本性である我は存在しない事を表します。
この様に表現する意味のニュアンスには、違いがあるのです。
まとめ
2つの言葉は共通する漢字があるだけでなく、表現する意味にも似ている印象を受ける人が少なくありません。
そのためごっちゃになる恐れが十分にある言葉同士ですが、指し示す意味のニュアンスには相違点があります。
なのでそこを把握すれば、問題なく使い分けが可能です。
ちなみに諸行無常は、世の中の一切のものは常に変化し生滅しているので、永久不変なものは存在していないという意味に使われます。
対する諸法無我は、宇宙に存在する事物には永遠不変な本性となる我は存在していない、という意味に用いられるのです。