信長の尾張、家康の三河?この記事では、「尾張」と「三河」の違いを分かりやすく説明していきます。
「尾張」とは?
「尾張名古屋は城で持つ」この有名なフレーズは伊勢音頭で唄われたものになります。
そのフレーズの通り名古屋城に加え、国宝である犬山城が存在しているのが尾張国です。
厳密には弥生時代に尾張氏が大和朝廷と婚姻関係を結び支配体制を確立しました。
しかし歴史の中では織田信長が登場して以降がグンと知名度が上がるのは間違いないところです。
織田家自体は早々に美濃へ拠点を移しますが、羽柴秀吉の出身地でもあり、また徳川家の時代も尾張徳川家が存在。
江戸、大坂と並ぶ重要地であったのは間違いないでしょう。
具体的には愛知県西部を指し、名古屋市が中核都市。
現行の名古屋駅から東へJR・名鉄を利用した場合、15分程度で三河地域に突入するほど東の範囲は狭いのが特徴的です。
「三河」とは?
愛知県東部を指すのが三河であり、愛知県第二の都市である岡崎市、世界に名だたるトヨタ自動車や国際規格のトヨタスタジアムを抱えます。
徳川家康の出身地として有名。
また西の尾張、東の遠江との境界線がともに別の境川なのが奇妙かつ面白いところでしょう。
「尾張」と「三河」の違い
「尾張」と「三河」の違いを、分かりやすく解説します。
基本的には旧国名時代の尾張国と三河国の違いが現在に至るまで続いているのが現状です。
ただし現在で名古屋とそれ以外の尾張地域を分割するケースや知多半島を知多として独立地域に扱う場合も多いと言えるでしょう。
三河に関しても東三河と西三河で文化圏が違うため、愛知県民の方は実際に地域で分けている方も多いと言えます。
また中核都市岡崎から名古屋まではJR・私鉄で30分であるため、広義的には「尾張・三河」を越えた名古屋圏として扱われる事も現代では多いと言えるでしょう。
まとめ
尾張は旧国名尾張国を指す場合と愛知県西部地域を指す場合があります。
また旧国名では名古屋は含まれますが、地域名の場合、名古屋と知多半島は切り離される事も珍しくありません。
尾張の国、尾張地域、名古屋・尾張・知多の3パターンで分類される事が多く見受けられます。
三河も旧国名三河国を指す場合と愛知県東部地域を指す場合、文化圏の違う愛知県第二、第三都市の岡崎と豊橋を中核都市とした東三河・西三河の3パターンで分類される事が多いと言えるでしょう。