この記事では、「中仙道」と「中山道」の違いを分かりやすく説明していきます。
「中仙道(なかせんどう)」とは?
「中仙道」とは、五街道の1つである「中山道」の別表記名です。
「中山道(なかせんどう)」とは?
「中山道」とは、五街道の1つであり、江戸の日本橋と京都の三条大橋を結ぶ街道です。
「中仙道」と「中山道」の違い
「中仙道」と「中山道」はどちらも江戸の日本橋と京都の三条大橋を結ぶ街道のことを指す名称です(以下、中山道で統一)。
江戸幕府は1601年(慶長6年)から7年をかけて「中山道」、および五街道の整備に取り掛かりました。
表記には「中仙道」と「中山道」両方が用いられていましたが、1716年(享保元年)、新井白石の進言により、正式に「中山道」表記に統一されたのです。
かたや、庶民のあいだでは「木曾路」や「木曽街道」など古くからの名称も使い続けられたそうです。
その他、京都の宮中から江戸の将軍家へ嫁ぐときのルートでもあったため、「姫街道」の名でも呼ばれていました。
ちなみに、「中山道」はもともと戦国時代まで「山道」や「東山道」とも呼ばれており、宇都宮から関ケ原の戦いに参陣するために、徳川秀忠軍がこのルートを通ったことで有名です。
明治時代になると鉄道網が発達したことにより、「中山道」は衰退していきましたが、東京と長野を結ぶルートや名古屋と長野を結ぶルートとして依然、重要な街道であることに変わりはありませんでした。
高度経済成長期より後になると、「中山道」を歴史遺産として保存しようとする運動が活発化するとともに、島崎藤村の「夜明け前」をはじめ多くの文学作品の舞台にもなったのです。
まとめ
「中仙道」と「中山道」はどちらも同じく、江戸の日本橋と京都の三条大橋を結ぶ街道を指す名称でした。
もともと両方の表記が用いられていましたが、1716年に江戸幕府の通達によって正式に「中山道」表記で統一されました。