この記事では、「一日千秋」と「倚閭の望」の違いを分かりやすく説明していきます。
「一日千秋(いちにちせんしゅう/いちじつせんしゅう)」とは?
「一日千秋」とは、「1日がとても長く感じられること」や「とてつもなく待ち遠しいこと」を意味する言葉です。
「千秋」は「千年」という意味を表し、「一日三秋(いちじつさんしゅう)」から派生した言葉ともされています。
「一日千秋」の使い方
「一日千秋」は名詞として使われています。
「倚閭の望(いりょのぼう)」とは?
「倚閭の望」とは、「我が子を思う母親や両親の愛情」、「我が子をいつまでも心配する母親の情愛」を意味する言葉です。
「倚」は「寄りかかること」、「閭」は「村の入り口の門」、「望」は「遠くを見ている」という意味を表し、「倚門の望(いもんぼう)」と表現されることもあります。
「倚閭の望」は中国の春秋戦国時代、出掛けた衛の王孫賈(おうそんか)が帰ってくるのを、彼の母親が家の門や村の入り口の門に寄りかかって待ちわびていたという故事が由来とされています。
また、同じく中国の戦国時代、行方不明になった閔王を心配する母親の戒めの言葉が由来とする説もあるようです。
「倚閭の望」の使い方
「倚閭の望」は名詞として使われています。
「一日千秋」と「倚閭の望」の違い
「一日千秋」は主に「1日がとても長く感じること」や「強く待ちわびていること」という意味を表す四字熟語です。
対して、「倚閭の望」は主に「我が子を思う親の愛情」や「我が子を心配する母親の思い」という意味を表す四字熟語です。
「一日千秋」の例文
・『一日千秋の思いで彼女のことを待った』
・『はやく、パーティの日が来ないかと一日千秋の思いである』
「倚閭の望」の例文
・『弟の帰りを心配そうに待つ母の姿はまさに倚閭の望である』
・『両親は倚閭の望で、我が子の無事を心配していた』
まとめ
「一日千秋」は「1日がとても長く感じられること」や「とてつもなく待ち遠しいこと」を表す四字熟語です。
そして、「倚閭の望」は「我が子を思う親の愛情」や「我が子をいつまでも心配する母親の情愛」を表す四字熟語でした。