「念願」と「悲願」の違いとは?使い方や例文も徹底的に解釈

「念願」と「悲願」の違い生活・教育

この記事では、「念願」「悲願」の違いや使い方を分かりやすく説明していきます。

「念願」と「悲願」の違い

「念願」【ねんがん】と「悲願」【ひがん】はどちらも、望みを叶えたいと強く願うこと、またはその願いごとを指す言葉です。

ただし「念願」は、ずっと叶えたいと願い続けてきた明るい夢、高い目標を指すことが多く、「悲願」は叶うまでに悲しさや辛い気持ちを伴う願いを指すところが異なっています。


「念願」と「悲願」の使い方の違い

どうしても叶えたいと思う願いを抱いている時、強い期待や明るい気持ちを伴うものは「念願」と表し、悲しさや苦しさを伴う場合は「悲願」として使い分けるのが適切です。

「念願」よりも「悲願」のほうが、より思い入れが強い傾向もあります。


「念願」と「悲願」の英語表記の違い

「念願」「悲願」の英語表記は、どちらも“one’s dearest wish”です。

これは心から願うことを表しています。

また「長年抱いてきた願い」という意味で“one’s long-cherished hope”が用いられることもあります。

日本語では「念願」「悲願」は別の用語として扱われますが、英語ではあまり意味が変わりません。

「念願」の意味

「念願」とは、叶えたいと強く思ってきた願いのことです。

「念」は思い、願うことを意味し、「願」は望むこと、望みが叶うよう祈ることを意味しています。

「念」「願」は、どちらも「こうなりたい」と望む心の動きを表す漢字です。

「念」「願」の2つが組み合わされることで、願う気持ちや思いが強調されています。

「念願」は叶えるためには努力や時間が必要になるものであり、すぐ実現できるような願いや望みではありません。

願いの成就を夢見て長く思い続ける願いごとこそ「念願」と言うことができます。

「念願」の使い方

「念願」は強く思い続けてきた願いごと、叶えたいと強く願う特定の夢や目標などを指します。

一般には、明るい夢、将来を期待する願いごとに使われています。

望んできたことが叶った時は「念願が叶う」と表し、努力によって願いが叶えられた時には「念願を果たす」と表すとよいでしょう。

「念願」を使った例文

・『念願のマイホームを手に入れる』

・『念願が叶ってアメリカに旅行することになりました』

・『念願の歌手デビューを果たした』

・『私は両親が念願していた医者になった』

・『かねての念願だった旧友との再会を果たした』

「念願」の類語

「念願」の類語には「願望」「希望」「要望」「期待」などがあります。

「願望」【がんぼう】こうありたいと望むこと

「希望」【きぼう】こうなりたいと望むこと、良い兆し

「要望」【ようぼう】相手に物事の実現を求めること

「期待」【きたい】願いが叶うことを心待ちにすること

どの用語も「念願」と同様に望むこと、願うことを表していますが「念願」のほうが、より強い思いを表しています。

「念願」の対義語

「念願」の対義語にあたる用語はありません。

「念願」の類語「希望」「期待」の対義語は「失望」【しつぼう】です。

「失望」は、望みが消えてなくなり落胆する様子を指しています。

これは「念願」を果たそうと夢で胸に膨らましている様子とはまさに反対の状況といえます。

「悲願」の意味

「悲願」とは、心が詰まるような思いで強く願うこと、なんとしても成し遂げようとする、切なる願いを指します。

「悲」という漢字が入っているように、ただ願うのではなく、願いや思いを持つ時にいくらか悲しさや切なさを伴うのが特徴です。

「悲」は切ない、心が痛むような気持ち、「願」は望むことを意味する漢字です。

「悲」「願」の2つが組み合わされることで、ただ願うだけでなく切なる思いを持って強く願うさまを表しています。

ちなみに仏教用語にも「悲願」という言葉があります。

これは菩薩が人を救うために誓った願いで「菩薩の悲願」とも呼ばれます。

人は欲望や願いが叶わないと強く心を痛めるもの。

菩薩の悲願は、菩薩が人と同等の立場で寄り添い、その苦しみを共有するという慈悲を表すものです。

私たちが日常で使う「悲願」と仏教用語の「悲願」は意味が異なりますが、実は「菩薩の悲願」が私たちの知る「悲願」の語源になっています。

「悲願」の使い方

「悲願」「どうしても叶えたい」という強い思いに悲しみ、祈るような気持ちを伴うような願いを指します。

たとえば、願いを叶えるまでに悲しい気持ちや辛い思いを伴う場合、悲しい状況の中で頑張っている場合に「悲願」という言葉を使います。

主に、願いが叶えられない状態が長引いている時、その願いを「悲願」と呼ぶことが多いです。

「悲願」の使い方には「悲願を達成する」「悲願を果たす」「悲願が成就する」などがあります。

やっと願いが叶った時などに、これらの表現を用います。

「悲願」を使った例文

・『生き別れになった兄に会うことが私の悲願だ』

・『チームを結成して10年、悲願の初優勝を果たした』

・『長年抱いていた悲願が成就した』

・『彼は大病を克服し、悲願だった職場復活を果たした』

・『村に医院を作ることは住民達の長年の悲願である』

「悲願」の類語

「悲願」の類語には「切望」「熱望」「渇望」などがあります。

「切望」【せつぼう】切なる思いで望むこと

「熱望」【ねつぼう】心から強く望むこと

「渇望」【かつぼう】激しく望むこと

これらは、焦がれるような強い願いや望みを表しているところが「悲願」と似ています。

「悲願」の対義語

「悲願」の対義語はありません。

類語「渇望」の対義語は「堪能」【たんのう】です。

「堪能」は十分に満足している様子を指し、願いが叶わず心を痛める「悲願」とは遠い意味を表しています。

まとめ

「願望」「悲願」は、どちらも強く願うことを意味しますが、それぞれの使い方は異なります。

「願望」「悲願」を適切に使うと、文章により臨場感が出てきます。

正しい意味を理解し上手に使い分けましょう。