この記事では、「洗礼」【せんれい】と「バプテスマ」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「洗礼」とは?
サクラメントでは重要な儀式である「洗礼」【せんれい】を受けることでキリスト教徒になれます。
清めるその水は特別なものであり、頭部から穢れのない水を注いでいくことで罪をしっかり洗い流し、清めれば晴れて神の子と認められて生命が宿ったとみなされます。
古い自分を捨てて、新しい人生を歩むためにも水で清めてキリストと一緒に復活して生きることを意味しているわけです。
罪を犯した者であっても「洗礼」を受けることで内面も清められれば教徒への道に近づき、人生をやり直せるとされるこの水は灌水礼【かんすいれい】と呼びます。
司式者が希望者に信仰心があるか聞いてから神に祈りを捧げて移動し、洗礼場所で全身を浸します。
幼児のときに新約聖書のマタイ福音書に記載されている28章19節の文を読み上げて宣言し、洗礼式を受けるという流れが一般的です。
「バブテスマ」とは?
キリスト教では、礼典に行う洗礼のことを「バブテスマ」と言い、プロテスタントの間で使われています。
日本語訳の聖書に記載されているものであり、自分の歩いてきた道を見つめ直したとき罪を犯したことを反省し、邪念を拭い去って神の献身として生まれ変わる心神深いクリスチャンとなり、新しい人生を歩めるようにするわけです。
言葉の由来は、染料液に布を浸したとき一体化した色に染まるという意味が含まれています。
そのようなところから、人がイエス・キリストと一体になるためには、必ずこの「バブテスマ」を受けることで晴れて会員になれるわけです。
ギリシャ語では浸す意味があり、人を水の中に入れて沈める行動を指し、このことで全身を清めて神に使える者に生まれ変われる行為として行われるわけです。
「洗礼」と「バブテスマ」の違い
「洗礼」と「バブテスマ」の違いを、分かりやすく解説します。
これからキリスト教徒として新たな人生を始めるための儀式を「洗礼」と呼び、宗教とともに前進するため心に決めて人生を歩むという意味を持ちます。
人生を始めるスタート地点に立つ名前のない赤ん坊に与えるものであり、命名する儀式として長年受け継がれてきました。
水で清めるときは、頭にだけ水をかけて儀式がすぐ終わるので、小さな子供も負担なく受けられるのが魅力になります。
幼児が「洗礼」を受けるためのキリスト教の儀式であり、すでに名前を持っている大人は受けられません。
もう一方の「バブテスマ」は自発的に大人でも受けられます。
当日は全身を水に浸すことでしっかり清めて罪を流すことを目的としています。
まとめ
どちらも宗教に関した言葉ですが、「洗礼」はまだ穢れもなく名前もない生まれたばかりの子供に対して行われる儀式です。
「バブテスマ」は人生を歩んできて穢れを持った大人を全身水で清める儀式であり、神への献身と認知され、後の一生をキリストとともに生きると覚えておくといいでしょう。