似たような意味で使われる言葉として「空気を読む」と「察する」があります。
このふたつは具体的にどのような違いで区別されるのでしょうか。
今回は、「空気を読む」と「察する」の違いについて解説します。
「空気を読む」とは?
「空気を読む」、「その場の雰囲気からなにをすべきか無言のうちに感じ取ること」を意味する言葉です。
「空気を読む」の使い方
「空気を読む」の「空気」とは「場に漂う空気」つまり「雰囲気」や「様子」を指す言葉です。
場の雰囲気というのは言葉では表しにくいものの当事者になるとはっきりと感じとれます。
張り詰めた空気や気まずい空気、不穏な空気やのんびりした空気など「その場に漂う空気を言葉に出すことなく暗黙のうちに了解しそれに合わせてふさわしくふるまうこと」を「空気を読む」と表現します。
簡単にいえば「空気を読む」とは「暗黙のうちに場に合わせた行動をとること」です。
いちいち口に出してどうすればいいのか確認することなく自らの感覚で場の雰囲気や様子など言葉に表されないものを感じ取りそれにしたがって行動することが「空気を読む」が意味する内容であり、そのような行動が取れないと「空気が読めない」と言われてしまいます。
「察する」とは?
「察する」とは、「物事の事情や訳を直接尋ねることなくそれとなく推し量ること」を意味する言葉です。
「察する」の使い方
「察する」という表現は「表に表されている事情だけを見て裏の事情を推測し配慮すること」を表します。
「察する」の「察」という字には「思いやる」「想像する」など頭のなかで考えて人の心に寄せることを表します。
はっきりと口に出したり説明したりするのではなく「今の状況を判断材料に隠された事情について頭を働かせて考え気を配る高尾」が「察する」であり、一般的には「黙って感じとる」「口に出されていないことを読み取る」といったような意味合いで使われる言葉です。
「空気を読む」と「察する」の違い
「空気を読む」と「察する」の違いは「対象」です。
「空気を読む」の対象幅に漂う空気、つまり雰囲気やムードなど言葉では説明できないものの感じとれる無言の圧力を指します。
無言の圧力が何であるかを感じ取り逆らうことなくしたがって行動するのが「空気を読む」です。
「察する」という言葉は口には出せない事情や説明しにくい事態に対して無言のまま推し量って心を配るときに用いられる表現です。
対象になるのは個別の事情であり一般的には表沙汰にしたくない醜聞や思い出したくない不幸な出来事などを本人に説明させることなく無言で理解するときに用いられます。
無言のうちに場の雰囲気を感じ取るのが「空気を読む」、無言のうちに事情を推し量るのが「察する」という違いで区別されます。
「空気を読む」の例文
・『空気を読むのに長けているので悪目立ちする心配はない』
・『空気を読む能力が欠けているせいでひんしゅくを買いやすい』
「察する」の例文
・『あの様子から察するに何かトラブルが合ったのだろう』
・『突然の事故で家族を亡くした彼の胸中を察するに余りある』
まとめ
「空気を読む」と「察する」はどちらも無言のままに理解することを意味する言葉ですが具体的な意味合いには大きな違いがあります。
日本人には特に要求される能力なので普段から周囲の雰囲気や相手の様子に注意をはらい言葉にされなくても理解する能力を鍛えておきましょう。