この記事では、「窓際族」と「社内ニート」の違いを分かりやすく説明していきます。
「窓際族」とは?
会社に勤めてはいるものの、大した仕事や役割がなく、窓際の席でぼんやりとその景色を眺めたり、たばこをふかしたりしている人のことを「窓際族」と呼びます。
1977年の新聞記事が由来となっているようです。
「社内ニート」とは?
「ニート」とは、仕事に就かずに生活している人を指します。
「社内ニート」という言葉には「社内」という表現があるため、実際には仕事には就いている状況ですが、その「社内」で「仕事に就いていない状態」になっていることを「社内ニート」と呼びます。
1990年代後半に、イギリスの労働政策において生まれた言葉であると言われています。
「窓際族」と「社内ニート」の違い
「窓際族」は、今まで必死に働いてきた人が、出世コースに乗ることが出来ず、それでも会社を辞めずに残っているので、「窓際でのんびりしている」というニュアンスがあります。
一方、「社内ニート」は、会社には入ったものの、「能力がない」あるいは「意欲がない」などの理由から、「会社にいるけど働いていないも同じ状態」というニュアンスがあります。
「窓際族」の例文
・『私の肩書こそ部長ではあるが、実際は窓際族みたいで切ないよ』
年功序列で何とか部長職についてはいるものの、ほとんど仕事をしていない様子です。
居心地は悪そうです。
「窓際族」が生まれる原因は、終身雇用の定着化であると言われています。
出世できないまま定年まで会社に居続けるため、何となく会社にいて給料をもらうという、肩身の狭い思いをするわけです。
・『窓際族は、楽しそうでいいですね』
本当に「仕事が楽しいと思える人」は、目の前の仕事にしっかりと取り組み、仲間と共に課題をクリアして成長し続ける人であるはずです。
つまり、「楽しそうでいいですね」は、揶揄した言葉であることが分かります。
「楽をして給料がもらえるなんて羨ましい」と皮肉を言っている訳です。
「社内ニート」の例文
・『なんのスキルもないから、このままだと社内ニートになってしまうよ』
「スキルがいらない仕事」=「誰でもできる仕事」になります。
見方を変えると、「その人しかできない仕事だから、その人に価値が生まれる」という事です。
「自分は何ができるのか」ということに向き合った時に、「何もできない」ことに気付き、絶望する人がいるかも知れません。
そうすると、「自分は社内ニートになってしまうのだろうか」という不安にかられるわけです。
・『社内ニートから抜け出すために、新しいスキル獲得にチャレンジしよう』
現状は「社内ニート」に近い存在かも知れません。
しかし、自分を信じて道を切り開く努力を止めない事。
つまり、行動を起こすことが何よりも大事であると気付いた場面です。
まとめ
「窓際族」と「社内ニート」の違い、いかがでしたでしょうか。
いずれにしても、望んでそういう状況になる人と、そう成らざるを得ない経緯があった人がいます。
しかし、そこに悲観や諦めを選択せずに、まだ何とかなる、変わりたいと願う人がいるのも事実です。
社会問題とも言えるキーワードですが、周囲の理解が必要になるタイミングがあるかも知れませんし、手助けができるタイミングがあるかもしれません。
当事者でなくとも、社会の役に立てる何かを行動できる人になりたいものです。