「夭逝」と「早世」の違いとは?分かりやすく解釈

「夭逝」と「早世」の違い生活・教育

人が早くに亡くなることを意味する言葉として「夭逝」「早世」があります。

このふたつの具体的な違いはどこにあるのでしょうか。

今回は、「夭逝」「早世」の違いについて解説します。

「夭逝」とは?

「夭逝」とは、「年若いうちに亡くなること」を意味する言葉です。


「夭逝」の使い方

「まだ大人になる前の若い年齢で亡くなること」「夭逝」といいます。

「夭逝」「夭」には「若死に」という意味があり「夭逝」という場合は「歳を重ねることなく幼いうちにこの世を去ること」を意味します。

「夭逝」に具体的な基準はありませんが一般的には「成人する前に死んでしまうこと」という意味で使われています。

意味合いとしては若いよりも「幼い」というニュアンスが強いことから親の庇護下にある10代以下のうちに亡くなった人に対して「夭逝」という表現を用います。

基本的にはこ今後の成長が期待されていた若い人に対して使われることが多く、長生きすればいろいろな未来が待っていたであろう若者の死を惜しむ表現です。


「早世」とは?

「早世」とは、「早くに亡くなること」を意味する言葉です。

「早世」の使い方

「早くにこの世を去ること」を意味する「早世」ですが、どの程度をもって早いというかは人により感覚が異なります。

長生きしたい人にとっては70歳で死んでも早過ぎるという思いが強く残りますが、一般的には「今後の活躍が期待されるまだまだこれからの人」が亡くなったときに「早世」という表現が使われます。

「早世」は亡くなった人を惜しむ人達から見たときの早さが基準になるので同じ年令で亡くなった人同士であっても一方は「早世」とされもう一方は「早世」とされないこともあります。

これまでに残してきた功績や実績、長生きした場合に期待される活躍や成果などを総合的に考慮して「早世」と表現するかどうか判断されます。

「夭逝」と「早世」の違い

「夭逝」「早世」はどちらも年令を重ねる前に早くして亡くなることを意味する言葉です。

明確な違いはありませんが「夭逝」は具体的な成果や功績を上げる前に年若くして亡くなってしまったことを惜しむのに対し、「早世」はこれからの活躍が期待できる才能を示してみせたのに活躍することなく若いうちに亡くなってしまったことを残念に思う気持ちが込められています。

たくさんの可能性を秘めた若者が将来を迎えることのないまま大人になる前に死んでしまうのが「夭逝」、長く生きれば才能を発揮して作品を残したり功績を上げたりといった人生の足跡を残したであろう期待されていた者が同じような人と比べて早くに死んでしまうのが「早世」という違いで区別されます。

「夭逝」の例文

・『長男が夭折したため跡取りがいなくなってしまった』
・『夭逝した娘の位牌を仏壇に納める』

「早世」の例文

・『早世の天才画家が残した作品にオークションで高値が付けられた』
・『早世した母が生前に書いていた日記を発見した』

まとめ

「夭逝」「早世」は意味が非常に似ている上に日常ではほとんど使わない言葉なので混同しがちです。

同じ早くに亡くなるコトを表す言葉でも意味合いには大きな違いがあるので正しい意味を覚えてきちんと使い分けましょう。