この記事では、「野次」と「罵声」の違いを分かりやすく説明していきます。
「野次」とは?
「野次」は、やじるという行為のことで、この行為は、冷やかしや催促という言葉のほか妨害行為自体を意味します。
たとえば催促の場合、「野次」を使用して、早くしろとまくし立てるのは、「野次」でこれは、最速という意味でこの言葉を使用しているのです。
妨害行為の場合、全く見当違いのことを「野次」という形で述べ、妨害を行えば、「野次」という言葉が成立しますので、「野次」とは、やじる行為自体を意味します。
「罵声」とは?
「罵声」は、対象となる人物をぼろくそに言って罵ったうえで、辱める行為です。
なお、どちらかが成立すれば、「罵声」になるので、別に相手をぼろくそに言わずとも相手の名誉が傷つけば、「罵声」になるですが、相手が傷つく理由が自業自得である場合、実は、「罵声」にならないケースもあり、真実を言われて、自業自得な状態に陥ってるだけのケースもあります。
「野次」と「罵声」の違い
「野次」は、別に相手をののしったり、辱めず、あくまで冷やかしや催促というような形を取り、相手を攻撃するという意味は薄いです。
一方、「罵声」は、悪人がとるような行為で相手を辱めたり、攻撃と見れる言葉での攻撃なので、両者の違いは、口先で攻撃をするか、冷やかし程度で終わるかです。
「野次」の例文
・『野次はあくまで、冷やかしか催促でないとならない』
この例は、あくまで「野次」という言葉の意味は他人を攻撃せず、冷やかし程度か、催促という形でないといけないという例になります。
よって、「野次馬」という言葉は、名詞ではありますが意味においては、冷やかしの集まりという意味です。
「罵声」の例文
・『罵声と怒号は違う』
この例は、「罵声」が相手に対しての攻撃であるに対し、「怒号」は怒りをぶつける行為なので実は攻撃ではないケースがあるという例になります。
「怒号」の場合、第3者が怒らせる行為をしてそれに対して反応している場合があるので、相手が怒らせてそれに反応している場合、相手を攻撃する行為ではなく、相手から攻撃を受け迎撃している立場になるのです。
まとめ
「野次」については、相手を攻撃する意図はなく、どちらかというと冷やかしという暇人や、相手に対して何か催促をするせっかちさんのことです。
逆に、「罵声」は相手を攻撃していますのでこれは悪人がとるような行動で相手を口先で攻撃し、かつ辱めれば、「罵声」になります。
そして、「罵声」と「怒号」は同じでは?と考える方が多いのですが、「怒号」は、実は相手に対して口先で攻撃するというものが成立していないケースがあり、第3者が怒らせるようなことをした結果、怒り狂い大声をあげているだけであるのも、「怒号」なので実際に相手を口先で攻撃する「罵声」とは異なります。
ちなみに、「野次」は、相手を惑わせる行為をしているのだから、攻撃では?と感じるでしょうが、惑わせる行為は実は攻撃にならず、直接相手を非難していませんので、敵意はなく、冷やかしの部類になるのです。