「大同小異」「五十歩百歩」「どんぐりの背比べ 」は意味がよく似ている印象を受けますが、どんな違いがあるのでしょうか。
この記事では、「大同小異」と「五十歩百歩」と「どんぐりの背比べ 」の違いを分かりやすく説明していきます。
「大同小異」とは?
「大同小異」【だいどうしょうい】とは「小さな違いはあるものの、全体的に見ればほとんど変わらない」という意味の四字熟語です。
中国の思想家・荘周が書いた「荘子」天下編に出てくる故事熟語で「大同」「小異」2つの言葉から成り立っています。
「大同小異」は「大きな概念で見れば違いはない」という意味、「小異」は「小さな違いがある」という意味で、全体として見れば似たり寄ったりで代わり映えしないことを表します。
どちらかというと否定的なニュアンスがあり、「似たり寄ったり」「細かい点を気にしても仕方がない」と言いたいときに「大同小異」が用いられます。
「大同小異」の例文
・『マンネリ化でどのテレビ番組を見ても大同小異に感じる』
・『様々な意見が出たが大同小異で、これぞというものがない』
「五十歩百歩」とは?
「五十歩百歩」【ごじっぽひゃっぽ】は「お互いに大した差がない」という意味の四字熟語です。
これは思想家の孟子が経書に残した教えに由来するもので「百歩逃げた兵士を五十歩逃げた兵士が笑ったが、五十歩も百歩もそれほど差がない、逃げたことに変わりはないのだから」という意味を持ちます。
つまり「どちらも大したことがないのだから、優劣を比べて相手をあざ笑うのは馬鹿馬鹿しいことだ」と言っているのです。
もちろん、ほめ言葉ではありません。
実績のないもの同士で「自分のほうが優れている」とこぜり合いしているような場面を指して、この言葉を使うことができます。
「五十歩百歩」の例文
・『100点満点の10点と15点は五十歩百歩の違いしかない』
・『どのコンビニの新商品も平凡で五十歩百歩に見える』
「どんぐりの背比べ」とは
「どんぐりの背比べ」は「平凡なもの同士が競い合っているが、どれも大したことない」という意味のことわざです。
どんぐりは秋の雑木林へ行けばどこにでも落ちているクヌギ科の実ですが、どれもほとんど見栄えが変わりません。
このことから、どんぐり同士が大きさを競っている様子に例えて「平凡で似たようなものが集まっているが、突出して優れたものがいない様子」を表すときに使われるようになりました。
「どんぐりの背比べ」の例文
・『絵画コンクールに応募のあった作品はレベルが似たり寄ったりでどんぐりの背比べだ』
・『新入部員の人数だけは多いが、肝心の実力はどんぐりの背比べだ』
「大同小異」と「五十歩百歩」と「どんぐりの背比べ 」の違い
「大同小異」「五十歩百歩」「どんぐりの背比べ 」は、「どれも大したことない」「似たり寄ったり」ということの例えに使われ、ほぼ同じ意味を持ちます。
微妙なニュアンスの違いは「大同小異」が突出して優れているものはないことを、「五十歩百歩」がどちらも大差なく自慢できるようなものではないことを、「どんぐりの背比べ 」がどれも低レベルで突出したものが見つからないことを言おうとしている点です。
まとめ
「大同小異」「五十歩百歩」「どんぐりの背比べ 」は「似たり寄ったり」という意味を持ち、互いの意味はよく似ています。
場面によってニュアンスで使い分けると良いでしょう。