何かを信じるということに関連した言葉で「信仰」と「崇拝」と「盲信」という言葉があります。
これらの言葉にはそれぞれどのような意味があるのでしょうか。
またそれぞれどのような違いがあるのでしょうか。
この記事では、「信仰」と「崇拝」と「盲信」の違いを分かりやすく説明していきます。
「信仰」【しんこう】とは?
「信仰」とは、神仏や宗教などの教えを信じて敬うことを意味した言葉です。
その教えを信じその教えに忠実に生きることです。
また特定の対象の存在を敬い崇めることも意味します。
山岳信仰という言葉がありますが、これはある特定の山の由来や特徴からその山を神聖なものとして崇めるという意味合いがあります。
「信仰」とは、宗教的な言葉として使われることが多く、その信じるものの教えやその存在が発するものを敬うということです。
「信仰」の例文
・『山岳信仰として有名なものに富士山があります』
・『キリスト教を信仰している』
「崇拝」【すうはい】とは?
「崇拝」とは、崇めて敬うことを意味した言葉です。
先述の「信仰」と同じような意味合いとして使われることもありますが、厳密に言うと、「崇拝」は対象そのものを崇めて敬うということを意味しているので、「信仰」とは多少の違いがあります。
対象そのものを崇めて敬っているので、その対象の教えや行動を全て信じるということです。
宗教的な言葉としても使われますが、日常的にも比較的使われる言葉です。
「崇拝」の例文
・『仏教では偶像崇拝が一般的である』
・『新入社員はみんな社長を崇拝している』
「盲信」【もうしん】とは?
「盲信」とは、根拠なく信じることを意味した言葉です。
言葉の中にある「盲」の字には目が見えないとか文字が理解できないなどという意味が含まれているので、「盲信」は目が見えないままに信じるといった意味合いになります。
自分の目でしっかりと見ず、本質を考えることなく信じてしまうということです。
そのため比較的マイナスな意味合いとして使われることが多い言葉です。
「盲信」の例文
・『あの人の言葉を盲信してしまいお金を騙し取られた』
・『盲信して、他人の言葉が耳に入らない』
「信仰」と「崇拝」と「盲信」の違い
「信仰」と「崇拝」と「盲信」の違いをまとめると次のように説明できます。
「信仰」とは「対象の教えや発するものを信じて敬うこと」といった意味として使われています。
宗教的に使われることが多い言葉です。
「崇拝」とは「対象そのものを信じて崇めること」という意味合いで使われています。
宗教的にも日常的にも使われる言葉です。
「盲信」とは「根拠なく信じる」といった意味合いになります。
宗教的にも使われることもありますが、日常的に使われることが多い言葉です。
まとめ
「信仰」と「崇拝」と「盲信」の意味や違いを説明してきましたがご理解いただけましたでしょうか。
どの言葉も、信じたり敬ったりするといった言葉ですが、何をどのように信じるかといった違いがありました。