この記事では、「自覚」と「認識」の違いや使い方を分かりやすく説明していきます。
「自覚」と「認識」の違い
「自覚(じかく)」と「認識(にんしき)」の違いは、「自覚」が「自分自身の立場・能力などについて明確に知ること」の意味であるのに対して、「認識」は「自分以外の物・人などについて知ること、主体が対象の意義(本質)を判断すること」を示している違いがあります。
そのため、「(周囲が期待する)自分の役割・責任」をしっかり知った上で行動するの意味で「医師の自覚を持って行動する」とは言いますが、「医師の認識を持って行動する」とはあまり言わないのです。
「自覚」と「認識」の使い方の違い
「自覚」と「認識」は「自分自身の状態・役割・価値などについて深く知ること」に重点を置いて使うか否かの使い方の違いがあります。
また「自覚」の表現は「認識」と比べると、「他者・社会から期待されている自分の役割・職務・責任などをはっきりと知って、それを実践するように努める」というニュアンスが強くなっています。
例えば、「社会人としての自覚を持ちなさい」という文章のほうが、「社会人としての認識を持ちなさい」よりも自然で適切な表現になる違いを指摘できます。
逆に「問題を認識する」のほうが「問題を自覚する」よりも、「自分にとってだけの問題ではない・一般的な問題の内容と本質を知って理解すること」の意味合いが強くなります。
「自覚」と「認識」の英語表記の違い
「自覚」の言葉を、英語で表現すると以下になります。
“awareness”“self-aware”(気づいていること・分かっていること・自覚)
“conscious”(自分について意識している・自覚がある)
“take notice”“realize”(自分に関することに気づく・理解する・把握する・自覚する)
「認識」を、英語を用いて表現すると以下になります。
“perception”(対象に対する知覚・認識)
“cognition”(対象に対する認知や理解・認識)
“understanding”(対象を理解すること・認識)
“recognition”(対象を認知すること・承認すること・認識)
「自覚」の意味
「自覚(じかく)」とは、「自分で自分に関することについてはっきりと知ること(認識すること)」を意味している言葉です。
「自覚」の表現には、「自分で自分自身の状態・立場・責任・役割・任務などについて明確あるいは正確に知ること」といった意味のニュアンスがあります。
また「自覚」は、「主体(自分)と客体(他者)にまつわる悩み・苦しみを、正しい自己認識で断ち切ることで悟りを開く」という仏教用語の意味も持っています。
「自覚」の使い方
「自覚」は「自分の実力不足を自覚しました」のように、「自分で自分の状態・体調・能力・価値などについてはっきりと認識すること」の意味合いで使われます。
「自覚」という表現は、「自覚する・自覚しない・自覚がある・自覚がない・自覚が足りない・自覚しなさい・自覚の欠如」などの用法・用例で使うという使い方があります。
「自覚」を使った例文
・『大学生としての自覚を持って勉学に励んでいます。』
・『大人としての自覚がないから、幼稚な言動が多いのです。』
・『もっと親であることを自覚して、子供を優先した生活をすべきです。』
・『組織を引っ張っていくリーダーとしての自覚が欠如していました。』
・『50歳を越えてから、心身の不調や気力の衰えを自覚するようになりました。』
「自覚」の類語
「自覚」の類語は、以下になります。
「自己認識(じこにんしき)」……自分で自分に関する事柄について理解すること。
「実感(じっかん)」……実際に対象に接したり経験したりした時に得られる、確かにそうであるという感じ・感覚。
「責任感(せきにんかん)」……物事・仕事に関するつとめ(責任)をきちんと果たそうとする気持ち。
「自覚」の対義語
「自覚」の対義語は、以下になります。
「無自覚(むじかく)」……自分で自分が何をしようとしているのか認識していないこと。
自覚(認識)が欠けていること。
「無責任(むせきにん)」……仕事・役割において当然引き受けなければならない義務・つとめを果たそうとしないさま。
「認識」の意味
「認識(にんしき)」とは、「ある物事を他の物事と分別して、その存在・本質・価値などを知ること」を意味しています。
「認識」の表現には、「視聴覚などの感覚を介して、ある対象の存在・本質・意義・価値を判断して理解すること」といったニュアンスがあります。
哲学用語の「認識」は、「情緒・意欲と並べられる意識の基本作用の一つで、対象が何であるのかを知る心の働き」の意味を持っています。
「認識」の使い方
「認識」は「彼女の存在は初めから認識していました」のように、「主体が対象について分別・判断した上で知ること、理解すること」の意味で使われます。
「認識」は、「認識・情緒・意欲という意識が持つ三つの基本作用の一つ」といった哲学用語の意味・文脈で使用することもできます。
また「認識」の表現は、「認識する・認識しない・認識がある・認識がない・認識の欠如・認識の相違・認識の対立」などの用法・用例で使う使い方があります。
「認識」を使った例文
・『絶滅危惧種の動物が、その孤島で棲息していることを認識していました。』
・『社会問題としての認識がないので、いつまでも対策を講じないのです。』
・『不可避な問題なのだという認識があるのであれば、緊急に対策してください。』
・『会議における話し合いを通じて、相手の認識の欠如が浮き彫りになりました。』
・『基本的な認識の相違があるため、これ以上議論をしても結論は出ないと思います。』
「認識」の類語
「認識」の類語は、以下になります。
「認知(にんち)」……対象の存在・性質などを、知覚・認識・判断してはっきりと知ること。
「知覚(ちかく)」……視覚・聴覚などの感覚器官を介して、対象の存在・状態などを知ること。
「知識(ちしき)」……対象(物事)について認識・判断した上で知っている内容。
「認識」の対義語
「認識」の対義語は、以下になります。
「無視(むし)」……主体が対象の存在について知ろうとしないこと。
「意識が甘い(いしきがあまい)」……物事の本質や意義などを知ろうとする意識・態度が弱いさま。
まとめ
「自覚」と「認識」の違いを分かりやすく説明しましたが、いかがだったでしょうか? 「自覚」と「認識」の意味・使い方・例文・英語の違いや類語・対義語を詳しく調べたい時は、この記事の内容をチェックしてみてください。