この記事では、「愛敬」と「愛嬌」と「愛想」の違いを分かりやすく説明していきます。
「愛敬」とは?
「愛敬(あいきょう)」とは、なんだか憎めなくて、可愛らしいふるまいのことを言います。
また、人を楽しませるユーモアのあることを意味します。
「愛敬」を使った例文をいくつかご紹介します。
『男は度胸、女は愛敬と言う価値観も変わりつつある』、『愛嬌のある赤ちゃんは家族のアイドル的存在です』、また『今のはご愛敬だ』などの「ご愛敬」はちょっとした失敗があった時に使われます。
「愛敬」の類語としては、「愛くるしい」、「可愛げ」、または「キュートさ」などがあります。
「愛嬌」とは?
「愛嬌(あいきょう)」の意味合いは、「愛敬」と同じです。
「愛敬」は仏教用語で「あいぎょう」と読んでいましたが、その後、「あいきょう」と読まれるようになりました。
さらに「敬」が「嬌」でも使われるようになり、「愛嬌」という言葉になりました。
「愛想」とは?
「愛想(あいそう)」とは、人に良い感じを与える応対や顔つきのことを言います。
他にも、もてなしや好意の意味もあります。
また、「お愛想」は「勘定」の意味になります。
「愛想」を用いた例文をいくつか見てみましょう。
『彼女は愛想がいいので、接客業に向いていると思う』、『彼の愛想笑いはわかりやすい』、『彼女のわがままな振る舞いには、さすがに愛想が尽きた』「愛想」の類似語は、「好感」、「温情」、他にも「勘定」などが挙げられます。
また、「愛想」の対義語は、「不愛想」です。
「愛敬」と「愛嬌」と「愛想」の違い
「愛敬」とは、なんだか憎めなくて、可愛らしいふるまい、または人を楽しませるユーモアのあることを言います。
「愛嬌」は、「愛敬」が元になっており、意味は同じです。
また、「愛想」は、人に良い感じを与える応対や顔つき、もてなしや好意などの意味があります。
「愛敬」や「愛嬌」は自然にでる愛らしいふるまいという意味合いがあります。
それに対し、「愛想」は意図的に良い対応をすると言う点が異なっています。
まとめ
「愛想」は「愛敬」や「愛嬌」と比べると、意識的に良い印象を与えるように振る舞っていることから、どうしてもネガティブなイメージが付いてしまっています。
ですが、ビジネスの世界では愛想が必要ですし、他の場面でも、愛想があった方が得をすることも多いかもしれません。
特に営業や接客など、人を相手にする仕事の場合は、愛想が欠かせません。
それに比べると、「愛敬」や「愛嬌」は自然な愛らしさがあり、ちょっとしたミスがあっても、許してしまえるところがあります。
なので、そういう人は周りの人からも愛されやすくなるでしょう。
不自然な状態よりも、自然なままの方が好感を持たれやすいというのは当然のことだと言えます。
意図的に何かをするよりも、何もしないというありのままの方が、物事はうまくいきやすくなりますし、その人の本来の魅力も出やすくなるでしょう。