この記事では、「惨い」と「酷い」と「非道い」の違いを分かりやすく説明していきます。
「惨い」とは?
「惨い」は、残酷であり、悲惨である様子を意味します。
つまり、「現実は惨い」という言葉は、現実は残酷でありつつ悲惨である述べています。
また、「惨い」は、相手を傷つける行為で痛めつける行為自体を意味する場合もあります。
「酷い」とは?
「酷い」は、行為として成立する言葉で、相手に対して危害を与えて痛めつけるなど相手を傷つけることです。
ただ、「惨い」という言葉も痛めつけて相手を傷つける言葉であるとしている例もあるため、実のところ、「惨い」と「酷い」は同じです。
「非道い」とは
「非道い」は、小説に登場した言葉で、非道である行いです。
「非道」は人の行う行為から外れたことを指すので、言ってしまえば、残虐行為や盗みなどの他詐欺という具合に人間が本来とるべき道ではないものすべてを意味します。
「非道い」は、痛めつけるなどの行為を指すというより、方法を指すことが多いです。
「盗みを行う等非道い奴」のように、「非道い」は、どちらかというとそのものの方法を指します。
「惨い」と「酷い」と「非道い」の違い
「非道い」だけが、方法を指しており、盗みだったり、殺人だったりと人の道に反することを「非道い」と呼びます。
後の「惨い」と「酷い」については、状態を指し、「惨い」は、どちらかというと痛めつけるのではなく、自然に発生する残酷な仕打ちで周囲が冷たく当たるなど自然に周囲がそのようになることです。
逆に、「酷い」は、意図して相手側が対象を傷つけてやろうと感じた場合、「酷い」となり、相手の傷つける行為が人間として駄目であると述べるのが「酷い」です。
そして、「非道い」はこれは仕打ちの方法を指す言葉で、「盗みを行うとは非道い」という具合に人間として行動すべく際駄目な行動方針を指すのが「非道い」になります。
まとめ
「非道い」については、方法であると言え盗みや殺人のように方法があって初めて人の道に外れた行いであると述べます。
逆を返せば、外道という言葉がありますが、あれもこの道が付く言葉が故、仏教という教えに従わずに邪悪であるとしています。
ただ「外道い」は小説などでは見ませんので恐らく「外道」でしょう。
「酷い」については痛めつけることをだめであろうと述べており、「惨い」はどちらかというと自然発生した周囲の残虐さや残酷さになるため、「惨い仕打ち」という物は、人間が手を下す仕打ちではなく、自然が手を下す仕打ちです。
逆に、「酷い仕打ち」は、人間が手を下すのでこの言葉の意味は人間が自ら対象に対して危害を加えるということです。
難しくなってきましたが、「非道い」は元々小説から登場した言葉なので無いと言えば無い言葉で一応意味においては、人の道から外れた行いとして、比較すべきは、「惨い」と「酷い」で「惨い」は別に人間が手を下さずとも起こる残虐性だとしておけば分かりやすいでしょう。