「飽きる」と「冷める」と「慣れる」の違いとは?分かりやすく解釈

「飽きる」と「冷める」と「慣れる」の違い生活・教育

この記事では、「飽きる」「冷める」「慣れる」の違いを分かりやすく説明していきます。

「飽きる」とは?

「飽きる」とは、同じ物事が何度も続き、嫌になるという意味です。

また、満ち足りたことによりこれ以上はいらないという意味合いでもあります。

いずれにしましても、ある状態、状況に対して「もうこれ以上はいい」と否定的になっていることは同じです。

「スイーツ好きではあるが、毎日食べるとさすがに飽きる」「すぐに飽きるから高いアクセサリーは買わない」「彼女に飽きるなんて、お前は馬鹿だ」などと使います。


「冷める」とは?

「冷める」とは、熱いものの温度が下がるという意味があります。

それとは別に、高まった気持ち、感情が落ち着いて、平常心に戻るという意味合いもあります。

人や物事に対して、一時的に燃え上がるものの、時間が経てば気持ちが静まることを「冷める」と表現するのです。

このように「冷める」という言葉は、二通りの意味がありますので、前後にある言葉からどちらの意味合いなのか判断してください。

「紅茶が冷める」「早く入らないとお風呂が冷める」「ファンなんてあっという間に冷めるものだ」「不倫なんていずれ冷める」などと使います。


「慣れる」とは

「慣れる」とは、何度も経験することで、当たり前として受け止める、上手くできるようになるという意味があります。

また、人との距離感がなくなる、体になじむ、という意味合いもあります。

人との関係性においての「慣れる」とは、相手に対して警戒心がなくなる、親しみを持つ、心理的な隔たりがないなどを言います。

「街の生活に慣れる」「すっかり慣れた手つき」「上司のやり方に慣れる」「数週間もあれば、彼女の性格に慣れるはずだ」などと使います。

「飽きる」と「冷める」と「慣れる」の違い

「飽きる」「冷める」「慣れる」の違いを見ていきましょう。

この三つの言葉は、人に対しての状態を表すという共通点がありますが、意味合いが微妙に違っていますので、使い分けができるようになりましょう。

人づき合いにおいての「飽きる」は、一言で言えば「嫌になる」と同義語です。

原因は、同じことを繰り返す、満ち足りたなど様々ですが、結果的に「嫌になる」は同じです。

「冷める」とは高まった気持ち、感情が静まることを言います。

人づき合いにおいての「冷める」とは好意的、情熱的から普通、もしくは嫌いになることという意味合いです。

最後に「慣れる」ですが、これは何度も経験する、接触することによって、距離感がなくなる、心理的な隔たりがなくなる、親しみを持つという意味になります。

基本的にはいい意味なのですが、場合によっては遠慮がなくなる、ありがたみを感じなくなるといったように、悪い意味合いとなることもあります。

このように、それぞれ三つの言葉は意味合いが違います。

相手に対して「飽きる」「冷める」は事実であっても失礼な言い方であると覚えておきましょう。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

「飽きる」「冷める」「慣れる」の違いを解説しました。

それぞれの言葉の意味を理解して、ふさわしい言葉を選ぶようにしましょう。