この記事では、「所謂」と「所詮」と「所以」の違いを分かりやすく説明していきます。
「所謂」とは?
「所謂」は「いわゆる」と読み、意味は以下の通りです。
1つ目は「世間一般に言われる」という意味で、多くの人がその様に言っていることです。
2つ目は「俗に言う」という意味で、あるものごとが一般の人向けに優しく解釈されていることです。
3つ目は「よく言う」という意味で、その話題が出てきた時に多くの人がそれを口にしたり、引き合いに出したりすることです。
上記に共通するのは「誰もが使う言葉」という意味です。
「所謂」は動詞「言う」の未然形に、助動詞「ゆ」の連体形が付いた言葉です。
「所謂」の使い方
「所謂」は品詞としては珍しく「連体詞」になり、「所謂〇〇」として使われることがほとんどです。
基本的にある言葉の前に付いて、その言葉が世間一般に言われることを表す言葉です。
「所謂」の例文
・『彼女はいわゆるインフルエンサーという存在だ』
「所詮」とは?
「所詮」は「しょせん」と読み、意味は以下の通りです。
1つ目は「最後に落ち着くところ」という意味で、どの様な始まりや過程を取ったとしても最後に行きつく状態のことです。
2つ目は「命令・意志を表す言葉を伴い、こうなった上は」という意味で、そうである以上そうするべきであることを表します。
3つ目は「仏教用語として、経典などに表される内容」という意味です。
上記に共通するのは「結局のところそうなる」という意味です。
「所詮」の使い方
「所詮」は名詞・形容動詞として「所詮だ・である」と使われたり、副詞として「所詮無理である」などと使われます。
基本的に、どの様な状態であったとしても、最後に行きつくところの状態を表す言葉です。
「所詮」の例文
・『所詮貧乏人がどうあがいても億万長者になれるはずがない』
「所以」とは?
「所以」は「ゆえん」と読みます。
意味は「理由」「言われ」で、あるものごとがそうなっている事情やわけのことです。
「所以」の語源は「故(ゆえ)」であると言われていす。
「所以」の使い方
「所以」は名詞として「所以を知る・知った」「所以を説明する」「人が人たる所以」などと使われます。
基本的に、あるものごとがそうである事情やわけに使われる言葉です。
「所以」の例文
・『彼女がモテる所以は常に笑顔を絶やさないことにある』
「所謂」と「所詮」と「所以」の違い
「所謂」は「ある言葉の前に付いて、その言葉が世間一般に言われること」という意味です。
「所詮」は「どの様な状態であったとしても、最後に行きつくところの状態」という意味です。
「所以」は「あるものごとがそうである事情やわけ」という意味です。
まとめ
今回は「所謂」と「所詮」と「所以」について紹介しました。
「所謂」は「一般的には」、「所詮」は「最終的には」、「所以」は「その様なわけ」と覚えておきましょう。