「見下す」と「見くびる」と「侮る」の違いとは?分かりやすく解釈

「見下す」と「見くびる」と「侮る」の違い生活・教育

人を判断する言葉の中に「見下す」「見くびる」「侮る」というものがあります。

似たような意味合いの言葉ですが、違いは一体どこに在るのでしょうか。

この記事では、「見下す」「見くびる」「侮る」の違いを分かりやすく説明していきます。

「見下す」とは?

「見下す」とは、人を馬鹿にして軽く見ること、下に見ることを意味した言葉です。

相手を侮辱したような言葉を浴びせたり、馬鹿にしたような態度をとったり、「見下す」という行為は精神的に相手を追い詰めるものです。

ですから、悪い意味合いとして使われる言葉になります。


「見下す」の例文

・『あの人の怒り方は、相手を見下している怒り方だ』
・『他人を見下すような人にだけはなりたくありません』


「見くびる」とは?

「見くびる」(見縊る)とは、大したことない者として軽く見ることを意味した言葉です。

先述の「見下す」の中にも軽く見るという意味合いが含まれていますが、軽く見るのは「相手の存在」です。

ですが「見くびる」に関しては、軽く見るのは「相手の能力」になります。

そして、相手の能力をとにかく低いものだと判断して、自分の能力を出し切らず手加減するということです。

また、相手の能力が想像していたものより高かったというような場合に使われる言葉になるので、結果論的な言葉とも言えます。

「見くびる」の例文

・『段位が上だからと、相手の力を完全に見くびっている』
・『相手チームの力を見くびって大敗を喫した』

「侮る」とは?

「侮る」(あなどる)とは、自分より能力が劣っている者として軽く見ることを意味しています。

「見くびる」と同じで軽く見るのは「相手の能力」ですが、「侮る」の場合は自分よりも能力が劣っている者として相手を見ます。

その為、相手を馬鹿にしたような振る舞いをします。

「侮る」の例文

・『相手チームを侮って大敗を喫した』
・『どんどん実力をつけてきているので、侮れない存在だ』

「見下す」と「見くびる」と「侮る」の違い

「見下す」「見くびる」「侮る」の違いをまとめると次のようになります。

「見下す」とは、「相手を馬鹿にして下に見ること」を意味した言葉です。

相手の存在を下に見るといった意味合いがあります。

「見くびる」(見縊る)とは、「相手の能力を低く見て手加減すること」を意味した言葉です。

比較対象なく相手の能力を低く見ます。

「侮る」とは、「相手の能力が自分より劣っていると見て馬鹿にすること」を意味した言葉です。

自分と比較して能力が劣っていると見ます。

「見くびる」「侮る」に関しては、想像していた以上に相手の能力が高かった時に使われる言葉になるので、結果論的な言葉であるとも言えます。

まとめ

ここまで「見下す」「見くびる」「侮る」について述べてきましたがご理解いただけましたでしょうか。

細かな違いがあるにせよ、どの言葉もあまり良い行為を表したものとは言えません。

時には難しい場面もありますが、どのような相手にも誠実に接しようとする心がけは大切かもしれません。