態度や言動に温かみが感じられない人のことをよく「冷たいひと」と表現します。
この冷という字はものの温度だけではなくしばしば人間の内面を表すときにも使われますが、同じ冷たさを表す言葉でもそれぞれ少しずつ意味が変わってくるのです。
この記事では、「冷徹」と「冷酷」と「冷静」の違いを分かりやすく説明していきます。
「冷徹」とは?
他人や自分自身の感情に左右される事なく、冷静に物事を判断することを「冷徹」と言います。
「不正を働いた社員に冷徹な処分を下す」「ひとを動かす立場の人間には時に冷徹さが必要だ」というように使います。
注意したいのが「冷徹」は必ずしもその人の冷たさを非難するだけのネガティブな言葉ではないということです。
大事な場で情に流されず正しい判断が出来る、というそのひとの性格を褒める場合に使うこともあるのです。
しかし「あのひとは冷徹すぎる」というように使うとネガティブな意味合いが強くなります。
「冷酷」とは?
冷酷とは他人や周りに対しての思いやりがなくむごいこと、冷たく無慈悲なさまのことです。
この「冷酷」を先程の「冷徹」と混同して使っているひとがいますが、性格の冷たさや残虐さを表す場合はこちらの「冷酷」を使用するのが適切でしょう。
「家族を大事にしない冷酷な男」「あまりにも冷酷な仕打ちだ」などというように主にネガティブな意味合いを持たせて使います。
「冷静」とは?
冷静は冷徹と意味が似ており、感情や状況に左右されず物事を判断できるひとのことを「冷静なひと」と言います。
「冷徹」は主に人の情にほだされないことを言いますが、感情だけではなくその時々の状況、例えば大災害や事故などに遭遇したときなどに落ち着いて行動できるなど、有事の際でも慌てずに頭を冷やして物事を判断出来ることを「冷静」と表現します。
「ハプニングにも冷静に対応する」「こんなときこそ冷静さが大切だ」というように使います。
「冷徹」と「冷酷」と「冷静」の違い
みっつの言葉を比べてみると、同じ冷たさでも「頭を冷やす」か「心を冷やす」かの違いがあると言えます。
「冷酷」は態度や言動の温かみの無さ、慈悲の無さというように心が冷え切ったひとのことを表現したいときに使われます。
「冷徹」と「冷静」はどちらかというと頭をクールダウンして物事を判断出来る落ち着きのあるさまを表したいときに使います。
ただどれだけ冷静に正しい判断を下していても、そこに情が感じられないと人からは「冷酷な人」に見えるのかもしれません。
まとめ
いかがだったでしょうか。
感情豊かで情に熱いのはひととしてとても魅力的ですが、熱くなりすぎるのも思わぬトラブルを起こす原因になってしまいます。
適度に頭を冷やし、時には心も殺して問題に対処することも大切です。
ただあまりに冷たすぎると周りも自分も傷ついてしまう結果となる恐れがあるので、難しいですが熱さと冷たさのバランスを取ることが社会で生きる上では大事なことなのかもしれません。