「善」と「偽善」と「独善」の違いとは?分かりやすく解釈

「善」と「偽善」と「独善」の違いとは?生活・教育

『性善説』という言葉があります。

ひとの本性は基本的には善人であるという中国の孟子が唱えた考え方のことですが、しかし善にも種類があり、決して良い意味だけで使われるものばかりではありません。

この記事では、「善」「偽善」「独善」の違いを分かりやすく説明していきます。

「善」とは?

善とは道理的に正しく、行いや性質などがよいことです。

社会的なルールにきちんとのっとり、多くのひとが肯定する行いが「善」とされ、そのような行動を取る正しいひとのことを「善人」と言います。

宗教的には周りのひとのために行動したり協調性を重んじるなど、自分より他人を優先して行動することが善とされていることが多いようです。


「偽善」とは?

偽善とは偽物の善と書きます。

うわべだけはいかにも善人かのようにふるまっているが実は本心では無いこと、またはその行為自体を「偽善」と言います。

そのようにうわべだけの善行をおこなうひとは「偽善者」と呼ばれることがあります。

表面的には善い事をしていても実は不純な動機が裏に存在していたり、周りや特定の誰かに気に入られるためだけに行われる善行は時に周囲の反感を買い、好意的には受け止めてもらえません。

しかし有名な「やらない善よりやる偽善」という言葉の通り、動機や理由はどうであれ結果的に誰かが助かるのならその行為は無駄ではない、という考え方もあります。

周りによく見られたいだけの理由で募金活動やボランティアを行ったとしても、そのおかげで確実に救われるひとがいるのだから、「偽善者」などという言葉を使って非難するだけで何も行動を起こさないよりはいいのではないでしょうか。


「独善」とは?

独善とは自分だけが正しいと考えてひとりよがりに行動することです。

自分の信念や行動、所属などが周りの人間よりも優れていると思い込み、周囲の意見を聞き入れようとしない態度をとるひとを「独善的だ」と言うなど、主に非難するときに使います。

自己中心的、自分本位と言い換えることも出来ます。

偽善と違って独善的な行いは周囲に良い影響を与えません。

偽善は例え見せかけだけの行いだったとしても誰かのためになることもあります。

しかし独善は自分さえよければそれでいい、という考え方のもとでの行動なので周囲に負担や迷惑をかけてしまうことがあります。

そういう独善的な政治をおこなう支配者は「独裁者」と呼ばれ、有名なヒトラーやムッソリーニなどがそれにあたります。

善の定義

善とは他人だけではなく自分に対しての行いにも言われます。

周囲を幸せにする行動も「善」ですし、自分を幸せにする行動も「善」です。

ですから「独善」という言葉もあるのです。

何を善行とするかは人それぞれの価値観によって変わるといってよいでしょう。

まとめ

いかがだったでしょうか。

善いことをしてひとに感謝されることもあれば、よかれと思ってやったことがかえって誰かの迷惑になってしまうこともあります。

価値観は人それぞれ。

大事なのは自分の思う「善」を周囲に押し付けないことではないでしょうか。