人には色々な欲望があります。
その欲望をいかに抑えて生活するかが大切なことではないかと思います。
この欲望について考える時に「雑念」「煩悩」「邪念」などの言葉が浮かんできます。
そこでこの記事では「雑念」と「煩悩」と「邪念」の違いを分かりやすく説明していきます。
「雑念」とは?
「ざつねん」という読み方をする「雑念」 意味は「意識が集中できないようなさまざまの思い」「色々な余計な考え」ということを指しています。
「雑念」の例文
「雑念」の例文を2つ挙げてみました。
・『雑念を払い意識を集中する』
・『雑念が多すぎて勉強ができない』
1つのことに意識が集中できないさまが理解できることでしょう。
「煩悩」とは?
「煩悩」は「ぼんのう」と読みますが、「心身に変な思いがまとわりついて心をかき乱してしまう想念・欲望のこと」という意味を持っていること言葉です。
「煩悩」の例文
「煩悩」の例文には以下のようなものがあります。
・『あいつは煩悩の塊だ』
・『煩悩の虜になってしまった』
「邪念」とは
「じゃねん」と読む「邪念」が「良くない思い・気持ち」「横道に逸れた不純な考え」、あるいは「淫らな思い」などの意味を持っています。
「邪念」の例文
「邪念」の例文は次の通りです。
・『邪念を払う』
・『私の中に邪念が生まれる』
「雑念」と「煩悩」と「邪念」の違い
ここで「雑念」「煩悩」「邪念」の違いを考えてみましょう。
「雑念」は「物事に集中したり本来の考えるべき思考を妨げさせるような余計な思いや考えのこと」を指しています。
しかし、「邪念」のように悪いことが含まれている要素がありません。
しっかりと1つのことに意識を集中して考えなければならないのに、全く違うことを考えてしまうな場面で使われています。
但し、集中する必要なない時に、色々な考えや思いが浮かんでくる場合は「雑念」は当てはまりません。
片や「邪念」は「何かしらのよこしまで不純な悪いことになりそうな悪い考えや企みのこと」を指しています。
また、「考えが迷っている時にふと浮かんで来る妄想的な思念」も「邪念」として扱うことができるでしょう。
「雑念」と異なり物事に集中しなくてはならない時ではない場合であっても、悪い思念が浮んできたなら、「邪念」の対象となるのです。
「煩悩」を見ると、「煩」「悩」の2つの漢字で構成されていますが、「煩(わずら)わす」と「悩ます」という意味を持っています。
このことから、「煩悩」は「人の心の平安を乱してしまい、苦しめるもの」を意味していると言ってもいいでしょう。
「煩悩」は仏教用語でもあり、実際には「物質欲」「金銭欲」「名誉欲」「情欲」などの人を惑わせてしまう欲望にことを指しているのです。
まとめ
ここまで「雑念」「煩悩」「邪念」の意味や違いを説明してきました。
これらの思念は人の思考を惑わせてしまう思念でもあり、意識を集中しなくてはならない時は、完全に取り払うことが必要でしょう。