疑う気持ちを表現する時に使う言葉、「疑念」「疑惑」「疑い」。
これら三つの言葉に違いはあるのでしょうか。
違いがあるとすればどこにあるのでしょうか。
この記事では、「疑念」と「疑惑」と「疑い」の違いを分かりやすく説明していきます。
「疑念」とは?
「疑念」とは、うたがう心、うたがいという意味です。
人に対しての疑う気持ちを表現しており、事実関係が疑わしい時に使う言葉です。
必ずしも不正行為や違反行為を疑うわけではなく、あくまでも事実関係を疑う気持ちを表現しています。
「疑念」の例文
・『会社の威信をかけたプロジェクトの進め方に疑念を抱いていたので、今度の会議で意見しよう』
・『彼の、人の良過ぎる振る舞いには疑念を持って見ていたが、私の間違いだったようだ』
「疑惑」とは?
「疑惑」とは、うたがい惑うこと、うたがいという意味です。
「疑念」同様、人に対しての疑う気持ちを表現しています。
ですが「疑惑」は、不正行為や違反行為など、やってはいけないとされる行為を疑う気持ちが強い言葉になります。
行為を疑うということは、結局、事実関係を疑うということになるのですが、あくまでも不正や違反を疑う時に使う言葉です。
「疑惑」の例文
・『決定的な犯行の証拠はないが、警察は彼を疑惑の目で見ている』
・『その日のアリバイが証明されたことにより、彼の疑惑は晴れた』
「疑い」とは?
「疑い」とは、全てのことに対しての疑う気持ちを表した言葉です。
そして、事実関係に重きを置いており、必ずしも人に対してではなく、物に対してや、事柄に対しても使われる言葉になります。
例えば、「機械の故障かもしれない」という「疑い」や、「重い病気かもしれない」という「疑い」など、全てのものを対象とした「〇〇かもしれない」という気持ちを表現しています。
「疑い」の例文
・『機械の調子が悪い、故障している疑いがある』
・『彼は最近急激に痩せた、癌の疑いがある』
・『西の空が真っ暗だ、雨が降る疑いがある』
「疑念」と「疑惑」と「疑い」の違い
三つの言葉は、何かを疑う気持ちに変わりはないのですが、対象としているものや、何に重きを置いているかに違いがあります。
「疑念」とは、人に対しての疑う気持ちで、事実関係を疑う気持ちを表現している言葉です。
必ずしも、不正や違反などを疑う気持ちとは限らないということです。
一方「疑惑」とは、人に対しての疑う気持ちであることに変わりはないのですが、事実関係というよりは、不正や違反などを疑う気持ちが強い言葉になります。
そして「疑い」は、全てのものに対しての「〇〇かもしれない」気持ちを表しています。
「疑い」の対象が人である必要はなく、全ての事物に対して使える言葉ということです。
まとめ
「疑念」と「疑惑」と「疑い」の違いについて述べてきました。
この記事で、三つの言葉の違いを理解して頂けたら嬉しいです。