この記事では、「見下す」と「軽んじる」の違いを分かりやすく説明していきます。
「見下す」とは?
「見下す」とは相手を侮りバカにすることです。
評価的な意味でそういう風に見ているということなので、実際に相手に向ける視線が人を小馬鹿にするような目というわけではありません。
ただし相手をバカなやつ大したことのないやつと認識しているのは確かなので、実際に相対した時には大抵相手を馬鹿にしている視線になります。
「軽んじる」とは?
「軽んじる」とはそれを重要だと思わなかったり、大した価値や意味を見出していないことです。
相手の評価として特別に取り上げる必要のある存在だとは思わないというだけなので、それを馬鹿にしているというわけではありません。
下らないとバカにしていることもありますが、他の場面では役立つかも知れないけれど今は要らない、他にもっと優先したり重視するべきものがあるということも含みます。
「見下す」と「軽んじる」の違い
「見下す」と「軽んじる」の違いを、分かりやすく解説します。
相手を侮りバカにすることが「見下す」で、重要だと思わなかったり大した価値や意味を見出さないことが「軽んじる」です。
「見下す」は相手をバカにするという悪意を持っていることを必ず含む言葉ですが、「軽んじる」は優先順位や重要度を考えるとそれほど大事なものではないと、悪意を含んでいない評価に対しても使います。
「見下す」の例文
・『人を見下す態度』
・『何をやらせてもだめなやつだと見下す』
「軽んじる」の例文
・『派手な演出ばかり重視しコストを軽んじる』
・『古参ファンは新参を軽んじるのが厄介だ』
まとめ
「見下す」は必ず相手を馬鹿にしていることを表す言葉ですが、「軽んじる」は重要だと思っていないだけで必ずしもバカにしていません。
そのため「見下す」はバカにしたり侮るようなものにだけ使われますが、「軽んじる」は評価する上でバカにするという見方がされないものに対しても使われます。