この記事では、「痛恨の極み」と「痛恨の至り」の違いを分かりやすく説明していきます。
「痛恨の極み」とは?
「痛恨の極み」は「つうこんのきわみ」と読みます。
意味は、「非常に悔やまれる気持ちが、これ以上ないほど限界まで到達している状態」です。
悔やんでも悔やみきれない気持ちが限界まで達して、それ以上ない激しい様子を表します。
「痛恨の極み」の言葉の使い方
「痛恨の極み」は名詞・形容動詞として「痛恨の極みだ・である」「痛恨の極み状態」などと使われます。
「痛恨+の+極み」で成り立っている語で、「痛恨」は「非常に残念に思うこと」という意味、「の」は接続助詞、「極み」は動詞「極む」の連用形が名詞化した語で「ものごとの限界まで行きつくこと」という意味、「痛恨の極み」で、「非常に残念に思う気持ちが、限界まで達していること」になります。
「痛恨の至り」とは?
「痛恨の至り」は「つうこんのいたり」と読みます。
意味は「非常に悔やまれる気持ちが、最高の段階まで到達している状態」です。
悔やんでも悔やみきれない気持ちが、最も高いレベルに達している様子を表します。
「痛恨の至り」の言葉の使い方
「痛恨の至り」は名詞・形容動詞として「痛恨の至りだ・である」「痛恨の至りで身の置き場がない」などと使われます。
「痛恨+の+至り」で成り立っている語で、「痛恨」は「非常に残念に思うこと」という意味、「の」は接続助詞、「至り」は動詞「至る」の連用形が名詞化した語で「ある物事が最高の状態に達していること」という意味、「痛恨の至り」で、「非常に残念に思う気持ちが、最高の状態に達していること」になります。
「痛恨の極み」と「痛恨の至り」の違い
「痛恨の極み」は「非常に残念に思う気持ちが、限界まで達している状こと」です。
「痛恨の至り」は「非常に残念に思う気持ちが、最高の状態に達していること」です。
まとめ
今回は「痛恨の極み」と「痛恨の至り」について紹介しました。
それぞれの違いを理解して、正しく使える様にしておきましょう。