「囃し立てる」と「野次る」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「囃し立てる」と「野次る」の違いとは?違い

この記事では、「囃し立てる」「野次る」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。

「囃し立てる」とは?

大きな声であったり、激しく動いて盛んに囃す行為を「囃し立てる」【はやしたてる】といいます。

運動選手のやる気を引き出すためにも観客が声援を送ったり、わざと煽るような言葉を伝えて刺激を与えるのです。

元々は歌舞伎の世界で役者を囃してその場を盛り上げるように声を掛けます。

反対に、苛立つ人を冷やかすため囃す場合もある行為です。


「野次る」とは?

相手を馬鹿にして、からかう行為を「野次る」【やじる】といいます。

わざと非難する言葉を大声でふっかけて相手が怒る姿を見て喜ぶのです。

「お前は汚い奴だ」と罵ったり、「何をしても勝てない」と野次って面白がるのが野次馬と呼びます。

彼らは怒らせたり、やる気を損失させるのが目的であるため、心から共感して応援はしません。


「囃し立てる」と「野次る」の違い

ここでは「囃し立てる」「野次る」の違いを、分かりやすく解説します。

盛んに面識ある人を褒める言葉をかけて本人の闘争心を引き出し、勝つように仕向けるのが「囃し立てる」です。

反対に、冷やかすためにいやらしい言葉をぶつけたり、心が傷つく暴言を吐いてやる気を失わせる場合もあります。

もう一方の「野次る」はまったく面識がなくても面白半分で加わり、馬鹿にしたり、思いやりがない言葉をぶつける行為を指すわけです。

「囃し立てる」の例文

・『心が感じられない言葉で囃し立てられた選手の行方が分からない』
・『囃し立てられると我慢する気持ちが消えて、好きな人に告白できた』

「野次る」の例文

・『駅前で喧嘩する弟を大声で野次る輩の姿に怒りが沸く』
・『野次る客に負けまいと必死で演技すれば心を掴んだ』

まとめ

わざと冷やかしたり、褒める言葉を伝えるときは「囃し立てる」を、ただの野次馬根性で面白がるときは「野次る」を使うと覚えておくといいでしょう。

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