この記事では、「一線を画す」と「一線を博する」の違いを分かりやすく説明していきます。
「一線を画す」とは?
「一線を画す」は「いっせんをかくす」と読み、意味は以下の通りです。
1つ目は「2つのものごとの境界をはっきりさせて、きっぱり区切りをつけること」という意味です。
2つ目は、「他のものと違って程度がすばらしく高い様子」という意味です。
「一線を画す」の言葉の使い方
「一線を画す」は慣用句として「他のものとは一線を画す」などと使われます。
「一線+を+画す」で成り立っている語で、「一線」は「1本の線」から転じて「はっきりした区切り」「けじめ」という意味、「を」は接続助詞、「画す」は動詞「画する」の文語形で「線を引く」から転じて「ものごとをはっきり区分する」という意味、「一線を画す」で「一本の線を引くこと」、転じて「ものごとにはっきりした区切りを付けること」として使われています。
言葉の前後の意味により、肯定的・否定的どちらの意味でも使われます。
「一線を博する」とは?
「一線を博する」は「いっせんをはくする」と読みます。
ただし、このような言葉はなく、「一粲を博す(いっさんをはくす)」の誤用と思われます。
意味は、「笑ってもらう、見て喜んでもらうなど、自分の詩や文章などが人に読まれることを謙遜して言う言葉」という意味です。
相手に自分の作品を読んでもらい、話の種にしてもらいたいというへりくだった表現です。
「一粲を博す」の言葉の使い方
「一粲を博す」は慣用句として「一粲を博すことを願う」などと使われます。
「一粲+を+博す」で成り立っている語で、「一粲」は「白い歯を出してひと笑いすること」という意味、「を」は接続助詞、「博す」は動詞「博する」の文語形で「自分のものとする」「獲得する」という意味、「一粲を博す」で「人に白い歯を出してひと笑いしてもらうこと」、転じて「自分の作品を見てもらうことのへりくだった表現」になります。
「一線を画す」と「一粲を博す」の違い
「一線を画す」は「一本の線を引くこと」、転じて「ものごとにはっきりした区切りを付けること」です。
「一粲を博す」は「人に白い歯を出してひと笑いしてもらうこと」、転じて「自分の作品を見てもらうことのへりくだった表現」です。
まとめ
今回は「一線を画す」と「一粲を博す」について紹介しました。
それぞれの違いを理解して、正しく使える様にしておきましょう。