この記事では、「粒粒辛苦」と「意匠惨憺」の違いを分かりやすく説明していきます。
「粒粒辛苦」とは?
「粒粒辛苦」とは小さい努力を積み重ねることや、そうした積み重ねによって何かを成し遂げることです。
粒粒は農家が育てる米の一粒一粒のことで、辛苦はつらくくるしい思いを指します。
作物を育てるには様々な辛いことや苦しいことがあるけれど、それを耐えて乗り越えた末にできたものが作物の一粒一粒だということから、日々の努力の積み重ねを指す言葉に転じました。
「意匠惨憺」とは?
「意匠惨憺」とは物事に工夫を施すためにあれこれと悩み苦心することです。
意匠は絵のデザインや芸術作品のつくりを指し、惨憺は思い悩む様子を指します。
詩歌や絵画はありきたりで似たりよったりのものにならないよう工夫して作られますが、そういった工夫は大変な苦労をしているということから、物事に工夫するために頭を悩ませていることを指す言葉に転じました。
「粒粒辛苦」と「意匠惨憺」の違い
「粒粒辛苦」と「意匠惨憺」の違いを、分かりやすく解説します。
苦労して小さな努力を積み重ねることが「粒粒辛苦」で、物事に工夫するために思い悩むことが「意匠惨憺」です。
「粒粒辛苦」は日頃からの積み重ねとして努力と苦心を繰り返しますが、「意匠惨憺」は一つひとつの物事について苦心して工夫することを指します。
「粒粒辛苦」の例文
・『粒粒辛苦の貯金で老後に備える』
・『粒粒辛苦の生活の末ついにマイホームを購入した』
「意匠惨憺」の例文
・『デートの時にはいつも服選びに意匠惨憺する』
・『長い間意匠惨憺としたがその甲斐あって渾身の出来だ』
まとめ
苦心して努力を積み重ねることが「粒粒辛苦」で、「意匠惨憺」は物事に工夫するために苦心することです。
どちらも何かを成し遂げるために苦心している点は同じですが、「粒粒辛苦」は人生における何事かの積み重ねのために苦心しているに対し、「意匠惨憺」は何かを完成させたりより良いものにするための苦心という点が違います。