年頃の娘を持っている父親が最も恐れているのは、いつか結婚相手を連れてくるのではないかということです。
そんな時になんと言って良いのか今から考えておくという人もいるでしょう。
また、「感慨無量」となって何も言えなくなる人もいるでしょう。
それでは、この「感慨無量」とはどういう意味でしょうか。
また、「万感の思い」とは、どう違うのでしょうか。
この記事では、「感慨無量」と「万感の思い」の違いを分かりやすく説明していきます。
「感慨無量」とは?
「感慨無量」とは、「かんがいむりょう」と読み、「感慨」が無限に溢れてしまうということを表す言葉です。
一般的には、一瞬で多くの想いが湧き上がってくることを意味しています。
「感無量」という言葉もありますが、これは「感慨無量」を略してもので意味は同じです。
「万感の思い」とは?
「万感の思い」とは、「ばんかんのおもい」と読み、多くの想いが湧き上がってきている状態のことを表す言葉です。
一般的には書いた文章の中か、あいさつの言葉のような場面でしか使われません。
「感慨無量」と「万感の思い」の違い
「感慨無量」と「万感の思い」の違いを、分かりやすく解説します。
この2つは、「たくさんの想いが湧き上がってきている」という意味で使われるという部分では同じですが、どこに違いがあるのでしょうか。
この2つの違いを最も簡単に説明するなら、湧き上がっている思いの「量」に関しての表現なのが「感慨無量」であり、湧き上がっている思いの「種類の多さ」に関しての表現なのが「万感の思い」ということになります。
したがって、その意味では、同じ儒教でこの2つの言葉が両方使えるケースもあります。
例えば、娘の結婚式の父親に湧き上がっているのが「ここまで無地に育って良かった」というような思いなら「感慨無量」であり、ちょっと違っていて「今まで共に暮らしてきた思い出が次々に思い出される」ということなら「万感の思い」ということです。
ただ、その区別が明確につけられないことも多いでしょう。
「感慨無量」の例文
・『ここまで大きくなったことは感慨無量です』
・『多くの思い出が溢れて感慨無量です』
「万感の思い」の例文
・『娘の結婚式を万感の思いで迎えています』
・『プロジェクトの成功には万感の想いがあります』
まとめ
この記事では、「感慨無量」と「万感の思い」の違いを、解説してきました。
序文でも述べたように、これらの言葉は私たちの身近にあります。
この機会にこれらの正しい使い方を勉強しておきましょう。