「落花流水」と「魚心あれば水心」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「落花流水」と「魚心あれば水心」の違いとは?違い

この記事では、「落花流水」「魚心あれば水心」の違いを分かりやすく説明していきます。

「落花流水」とは?

落花流水は落ちた花びらが水にのって流れていく様子のことで、春が過ぎていく景色を表しています。

そこから人が落ちぶれたり、物事が衰えたりすることを例えた四字熟語になります。

それから時がむなしく過ぎていくことや別離を表すこともあります。

また、水に落ちた花びらを男に例え、花びらを受け止める水の流れを女に例えて、男女の気持ちが通じ合った相思相愛を表したりもします。

男が女を思えば、女も男を思うようになるという意味です。


「魚心あれば水心」とは?

魚心あれば水心とは、一方が好意を示せば相手も自然に好意を持つという意味のことわざです。

相手の出方次第で、こちらの対応も変わるということを表しています。

元々は「魚、心あれば、水、心あり」という言葉でした。

水に棲む魚に水を思う気持ちがあれば、水も魚のことを考えるだろうといった意味になります。

そこから魚心と水心という言葉が生まれました。


「落花流水」と「魚心あれば水心」の違い

落花流水も魚心あれば水心も、相手次第でそれに対する応じ方が変わることを意味する言葉です。

落下流水は男が女を思えば女も男を思うようになるという意味の四字熟語で、恋愛面で使われます。

それに対して魚心あれば水心は一方が好意を持てばもう一方も自然に好意を持つといった意味のことわざで、幅広く使われています。

必ずしも恋愛に限ったものではありません。

また、落花流水にはそれ以外にも複数の意味があります。

人が落ちぶれたり物事が衰えたりする様子を表していることもありますし、別離や時がむなしく過ぎることを表している場合もあります。

まとめ

落花流水と魚心あれば水心は、相手の出方次第で応じ方も変わることを表しています。

落花流水は男女の恋愛に用いられる言葉ですが、魚心あれば水心は恋愛以外にも用いられます。

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