「乗りかかった船」と「賽は投げられた」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「乗りかかった船」と「賽は投げられた」の違いとは?違い

この記事では、「乗りかかった船」「賽は投げられた」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。

「乗りかかった船」とは?

たまたまそこにいただけの人が、困っている人の様子を見て助けたいと行動したのであれば最後まで関係しようと行動することを「乗りかかった船」【のりかかったふね】といいます。

関わったからには最後まで面倒を見て、成り行きを見届けたいと思うのが人情というものです。

このようなところから、取り掛かったことはしっかり最後までやるのが肝心という意味で使われています。


「賽は投げられた」とは?

後戻りはできず、決行する道しか残っていないという意味で使われているのが「賽は投げられた」【さいはなげられた】です。

いったん取り掛かったことは絶対に実行する必要性があります。

この言葉の由来は、紀元前49年の寒い時期、軍を率いて冷たい川を渡ろうとしていたが、後に戻れば死が待っているため総督を努めるカエサルが兵士の勇気を奮い立たせるために言い放った言葉でした。


「乗りかかった船」と「賽は投げられた」の違い

「乗りかかった船」「賽は投げられた」の違いを、分かりやすく解説します。

物事に手を出したときは最後までやり遂げることが大切という意味で使われているのが「乗りかかった船」です。

相手と関わった以上、最後まで面倒を見てあげる必要性があるといった意味があります。

もう一方の「賽は投げられた」は、一度取り掛かったからにはきちんと責任を持って最後までやると心に決める気持ちが大事という意味がある言葉です。

「乗りかかった船」の例文

・『子供と生き別れになった人に乗りかかった船だと協力した』
・『洗脳された信者は簡単に乗りかかった船から外に出られない』

「賽は投げられた」の例文

・『体格のいい選手を見て怯む子供に賽は投げられたと背中を押した』
・『賽は投げられた時点で何があっても全力で試験に挑み、合格してやる』

まとめ

人が行動するとき、どう使うか考えて使い分けてみたい言葉です。

いくつかの例を見て、どのように使えばうまく使いこなせるかに目を向けてみるといいでしょう。

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