この記事では、「見れる」と「見られる」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「見れる」とは?
「ら」を抜いた言葉が「見れる」【みれる】です。
正式には「見られる」といった使い方する言葉ですが、中には誤ってこのように使う人もいます。
可能動詞化した「見る」が元になっている言葉であり、使い方としては「テレビが見れる」といった使い方して、実際にこれから番組を楽しめるといった意味を含んでいる言葉になるのです。
「見られる」とは?
「見る」は受動であり、敬語として使われているのが「見られる」【みられる】です。
文法的に使われている言葉であり、人の行動を伝えられます。
反対に、人から「見られる」といった意味としても使われている言葉です。
例えば、抜き打ち調査で教師に鞄の中を「見られる」行為により、中に違反する物が入っていないか調べられます。
「見れる」と「見られる」の違い
ここでは「見れる」と「見られる」の違いを、分かりやすく解説します。
自分の方から期待して見れる状況で使われている言葉が「見れる」です。
ただ、この言葉は「見られる」から「ら」を抜いた間違った使い方した言葉であり、文化庁では認められている言葉ではありません。
昭和初期から日常生活で話す言葉として使われるようになり、現在でも幅広い年代が使うようになりました。
ただ、「ら抜き言葉」は意味も違ってきますし、正式の場で使われていないため注意が必要です。
「見れる」の例文
・『今日は学校が早く終わったので、思い切りアニメが見られる』
・『アンテナを屋根に取り付ければ、衛星放送が気軽に見れる』
「見られる」の例文
・『家に帰れば録画しておいた相撲が見られる』
・『人に見られるのが苦手なので、なるべく夜間に行動している』
まとめ
「ら」が抜けているだけで意味がまったく違ってくる言葉をご紹介しました。
どのような場面で使えばいいか学習すれば、うまく意味が通じる文章が書けるようになるでしょう。