「汗顔の至り」と「慙愧の念」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「汗顔の至り」と「慙愧の念」の違いとは?違い

この記事では、「汗顔の至り」「慙愧の念」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。

「汗顔の至り」とは?

穴があれば身を隠したいと思うほど非常に恥じることを「汗顔の至り」【かんがんのいたり】といいます。

顔に大量の汗をかいてしまうほどかなり強く恥る気持ちに包まれた人の状態を指す言葉です。

それほど普通ならやらない愚かな失敗してしまったとき、周囲から笑われると緊張状態に包まれて顔から汗を流し、酷く緊張する様子を表します。


「慙愧の念」とは?

自分の言葉や行動をふと思い出したとき、恥ずかしいと感じてしまう気持ちになることを「慙愧の念」【ざんきのねん】といいます。

その行動により周囲へ迷惑をかけてしまえば心から申し訳なく感じる気持ちを指す言葉です。

主に、自分側が痛恨のミスしでかしたとき、その非を恥ずかしいと感じる気持ちを表します。

また、見苦しいと感じる過ちを深く反省して、強く恥じることを意味する言葉です。


「汗顔の至り」と「慙愧の念」の違い

「汗顔の至り」「慙愧の念」の違いを、分かりやすく解説します。

自分が行なった行為に対して恥ずかしい気持ちになる人が顔から汗を流す様を「汗顔の至り」といいます。

それほど仕事で大きな穴を開けたり、周囲に恥をかかせてしまった人は酷い緊張感に包まれてしまうのです。

もう一方の「慙愧の念」は、自分の行動を思い出すと人に顔を向けられないほど恥ずかしい感情に包まれては申し訳ないと懺悔します。

「汗顔の至り」の例文

・『試合中に迷惑行為した部員が汗顔の至りと謝罪した』
・『商談で失態を犯した部下は汗顔の至りと深く反省する』

「慙愧の念」の例文

・『重要な会議で失言した部下は慙愧の念に堪えない』
・『社長の前で失態をさらした係長が浅はかな行動に慙愧の念を持つ』

まとめ

人の前で恥ずかしいと感じる失態した者が懺悔する気持ちを表す言葉をご紹介しました。

どのような状況で使えば自分の気持ちを伝えられるか勉強してみましょう。

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