この記事では、「気は心」と「志は木の葉に包む」の違いを分かりやすく説明していきます。
「気は心」とは?
「気は心」には、金額や量は少なくても真心を込めているといった意味があります。
一般的に贈り物をする際に使用されることの多い言葉です。
安いものであっても、少ない量であっても、それらには贈る側の気持ちが込められているといった意味として「気が心」を使用します。
類語には、塵のようなものでも贈る側の誠意、気持ちが込められているといった意味を持つ「塵を結んでも志」などがあります。
また、「気は心」とは反対の意味を持つ言葉には、「ないがしろ」や「おざなり」などがあります。
「志は木の葉に包む」とは?
「志は木の葉に包む」には、真心がこもっているなら贈り物は木の葉に包むようなわずかなものでも良いという意味があります。
例え木の葉に包むようなものでも、そこに真心が込められているのであれば立派な贈り物になるといった意味を持つ言葉になります。
類語には、どんなものでも真心を込めて贈れば、相手は、その気持ちを汲み取ってくれるといった意味を持つ「志は髪の筋」などがあります。
また、「志は木の葉に包む」とは反対の意味を持つ言葉には、「ないがしろ」や「おざなり」などがあります。
「気は心」と「志は木の葉に包む」の違い
「気は心」と「志は木の葉に包む」の違いを、分かりやすく解説します。
「気は心」と「志は木の葉に包む」は同じ意味を持つ言葉です。
どちらも、細やか贈り物でも真心がこもっていることを意味する言葉になります。
「気は心」の例文
・『気は心と言いながら、驚くほど豪華なプレゼントをもらい動揺しています』
・『お金がなくても気は心というので、できる範囲での贈り物を渡しました』
「志は木の葉に包む」の例文
・『細やかプレゼントだったにもかかわらず、彼女は志は木の葉に包む気持ちで喜んでくれた』
・『祖母から、よく贈り物に対して志は木の葉に包む気持ちが大切だと言われ育ちました』
まとめ
以上のように「気は心」と「志は木の葉に包む」は、同じ意味を持つ言葉になります。