この記事では、「散見する」と「見受けられる」の違いを分かりやすく説明していきます。
「散見する」とは?
「散見する」とはそのものをちらほらと見かけることです。
どこでも頻繁に見かけると言うほどではありませんが、極一部だけで見かけるのではなく、ぽつぽつと複数の場所や様々な場面で見かけるようなものに使われます。
また実際にそれが目に見えていたり文章に残っていたりなど、具体的にそうだと示されているものにのみ使える言葉です。
「見受けられる」とは?
「見受けられる」とは見かける目に留まることです。
またそのものが見られるだけでなく、見たものからそう推測判断できるという意味もあります。
そのため言及した物事についてそのものを目にする場合にも使われますが、推測のもととなったものを見にするだけでそのものは見かけていないという場合にも使われる言葉です。
「散見する」と「見受けられる」の違い
「散見する」と「見受けられる」の違いを、分かりやすく解説します。
そのものをちらほらと見かけることが「散見する」で、そのものが目に留まったり見たものから推測できることが「見受けられる」です。
「散見する」は実物が見える場合にしか使えませんが、「見受けられる」は実物が見える場合にも、実物は見えないけれど見えるものから推測できるという抽象的な場合にも使えます。
「散見する」の例文
・『近頃SNSで散見する若者言葉』
・『一昔前のファッションを取り入れる着こなしも散見する』
「見受けられる」の例文
・『間違った言葉遣いをする若者が見受けられる』
・『オールドファッション流行の兆しが見受けられる』
まとめ
実物を見かける場合だけに使える言葉か、実物を見かけるだけでなく見たものから推測できる場合にも使える言葉かというのが、「散見する」と「見受けられる」の大きな違いです。
推測の場合にも使える分見受けられるの方が使える場面は多いですが、目にする見かけると断定したい場合には推測できるという意味を含まない散見するを使ったほうがいいでしょう。