「枯れ木も山のにぎわい」と「餓鬼も人数」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「枯れ木も山のにぎわい」と「餓鬼も人数」の違いとは?違い

この記事では、「枯れ木も山のにぎわい」「餓鬼も人数」の違いを分かりやすく説明していきます。

「枯れ木も山のにぎわい」とは?

賑やかな若者が集まる場所に年寄りが謙遜しつつも入れてもらい、一緒に遊んでは仲間になって楽しむという意味がある言葉を「枯れ木も山のにぎわい」【かれきもやまのにぎわい】といいます。

このようなところから、参加者が1人でも多くいた方がつまらない雰囲気が楽しい場所となり、賑やかで明るい場所になるという意味で使われている言葉です。


「餓鬼も人数」とは?

何十人も集まれば才能がない者でも使えるようになるという意味の言葉が「餓鬼も人数」【がきもにんじゅ】です。

つまらないと感じる人も数人集まればそれぞれの持ち味で楽しくなります。

子供という意味がある「餓鬼」は1人であれば力が弱くても人数が増えると大きな力となるわけです。

そのため、気を抜いていれば追い抜かされてしまうので、気をつける必要性があります。


「枯れ木も山のにぎわい」と「餓鬼も人数」の違い

「枯れ木も山のにぎわい」「餓鬼も人数」の違いを、分かりやすく解説します。

つまらない物であっても、無いよりはいいと思うものを指すのが「枯れ木も山のにぎわい」です。

葉がまったくない枯れ木であっても立っているだけで存在感があるので、ないよりはいいだろうと思う状況を表します。

もう一方の「餓鬼も人数」は力が弱い子供であっても無視していればいずれ追い抜かれたり、立場が逆転する場合もあるので、気をつけるといった教訓として使われている言葉です。

「枯れ木も山のにぎわい」の例文

・『枯れ木も山のにぎわい、食事会に是非来てください』
・『子供が多くいた方が結婚式も枯れ木が山のにぎわいとなる』

「餓鬼も人数」の例文

・『餓鬼も人数が集まれば相手を圧倒して勝利する』
・『難しい仕事は餓鬼も人数がいればこなせるようになる』

まとめ

人数が多くいれば賑やかになったり、難しい問題でも乗り越えられるという意味がある言葉を2つご紹介しました。

どのような場面で使われているか目を向けて使い分けてみましょう。

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