例えば、スポーツの国際大会が開かれるということで、その道の「百戦錬磨」の元プレーヤーが、監督として招かれることがよくあります。
それでは、この「百戦錬磨」とはどういう意味でしょうか。
また、「百戦練磨」とは、どう違うのでしょうか。
この記事では、「百戦錬磨」と「百戦練磨」の違いを分かりやすく説明していきます。
「百戦錬磨」とは?
「百戦錬磨」とは、「百戦」つまりたくさんの経験をしたことで、「錬磨」つまり鍛えられたということを表す言葉です。
多くの場合は多くの経験がある人の技術的、精神的な強さを強調したいときに使われます。
「百戦練磨」とは?
「百戦練磨」とは、「ひゃくせんれんま」と読み、前述の熟語と同じで「百戦」つまりたくさんの経験をしたことで、「錬磨」つまり鍛えられたということを表す言葉です。
使い方の違いに関しては後ほど説明します。
「百戦錬磨」と「百戦練磨」の違い
「百戦錬磨」と「百戦練磨」の違いを、分かりやすく解説します。
この2つは、同じ読み方であり、多くの経験を積んだという意味としても同じですが、どこに違いがあるのでしょうか。
この2つの違いをもっとも簡単に説明するなら「百戦練磨」という言葉は、「百戦錬磨」の「練」が常用漢字に登録されていないために文字を置き換えたもので、根本的には違いがないということになります。
ただ、現時点では一般のメニ触れるような文章の中で「百戦練磨」という表現がなされていることはほとんどないと言えるでしょう。
つまり、「百戦練磨」を使用すると間違っていると判断されることがあるので、気をつけなければなりません。
「百戦錬磨」の例文
・『今度招かれた監督は「百戦錬磨」のプレーヤー出身です』
・『コンピュータなどの辞書では、必ず「百戦錬磨」の文字が表示されます』
「百戦練磨」の例文
・『今度招かれた監督は「百戦練磨」のプレーヤー出身です』
・『「百戦練磨」という熟語は正式な言葉として認知されていない場合もあります』
まとめ
この記事では、「百戦錬磨」と「百戦練磨」の違いを、解説してきました。
WBC(ワールドベースボールクラシック)でも監督として活躍した栗山英樹氏は、ご存知のようにプレーヤーとして歴史に残る活躍をしてきた「百戦錬磨」の人物です。
そのことが監督としても裁量にも大きく影響していることは間違いありませんが、サッカーの岡田監督のように特に監督としてのスキルが卓越しているという場合もよくあります。