この記事では、「天下分け目」と「天王山」の違いを分かりやすく説明していきます。
「天下分け目」とは?
「天下分け目」とは、天下を取るか取られるかの分かれ目を指す言葉です。
現代では、勝負の決まる大事な場面や時期に用いられる言葉になります。
この言葉の由来は1600年の関ヶ原の戦いになります。
関ヶ原の戦いでは、石田三成ら率いる西軍と徳川家康ら率いる東軍とが関ヶ原の地で戦いに挑みました。
結果、徳川家康ら率いる東軍が大勝し、この戦いが今後の行方に大きな影響を及ぼしたことから、大事な勝負どころを「天下分け目」というようになりました。
「天王山」とは?
「天王山」は地名です。
京都府南部乙訓郡大山崎町にある小丘が「天王山」。
淀川の分岐点にあることから古来は水陸交通の要の場所でした。
その場所で1582年、山崎の戦いが行われ、羽柴秀吉が明智光秀を破りました。
この戦いから、勝敗や運命の重大な分かれ目のことを「天王山」というようになりました。
「天下分け目」と「天王山」の違い
「天下分け目」と「天王山」の違いを、分かりやすく解説します。
「天下分け目」と「天王山」は、どちらも、大事な勝負どころ、勝敗や運命の重大な分かれ目を意味する言葉です。
そのため、そのような場面において、どちらを使用しても問題ありません。
ただし、言葉の由来には大きな違いがあります。
「天下分け目」は、1600年に起きた石田三成ら率いる西軍と徳川家康ら率いる東軍とが関ヶ原の地で起こした関ヶ原の戦い。
「天王山」は、1582年京都府南部乙訓郡大山崎町にある小丘が「天王山」で羽柴秀吉が明智光秀を破ったことが由来になります。
「天下分け目」の例文
・『毎年、受験生には、3年生の夏が受験の天下分け目になると伝えています』
・『今回の試合に勝てば、優勝も見えてくる天下分け目の戦いが明日に控えています』
「天王山」の例文
・『この天王山を乗り切れば、会社が倒産することはないと思う』
・『今日の試合は、今後の行方を左右する天王山になりそうだ』
まとめ
以上のように、「天下分け目」と「天王山」の違いは言葉の由来にあります。