この記事では、「厭世的」と「悲観的」の違いを分かりやすく説明していきます。
「厭世的」とは?
「厭世的」は、人生に悲観し生きているのがいやになっているさまを意味します。
人生において、自分の思うようにならず失望し生きているのがいやになっている状況がまさに「厭世的」です。
「厭世的」は「厭世的な小説」や「厭世的な思考」、「厭世的な人」などといった形で使用され、類語には、「絶望的」や「ペシミスティック」などがあります。
また、対義語は、物事にくよくよすることなく、いつも明るいほうに考えていくさまを意味する「楽天的」です。
「悲観的」とは?
「悲観的」は、先行きに望みはないと考えることを意味します。
今後について、望みが持てないさまが「悲観的」になります。
「悲観的」は、「悲観的な考え」や「悲観的な言葉」、「悲観的な状況」などといった形で使用され、類語には、「ネガティブ」や「マイナス思考」などがあります。
また、対義語は、物事はうまくゆくものと考え心配しないことを意味する「楽観的」です。
「厭世的」と「悲観的」の違い
「厭世的」と「悲観的」の違いを、分かりやすく解説します。
「厭世的」と「悲観的」は似たような意味を持つ言葉ですが、微妙に意味が異なります。
「厭世的」の場合、希望を持てない対象は人生や世の中です。
一方、「悲観的」の場合は、すべての物事を対象とし希望を持てないことを意味します。
「厭世的」の例文
・『自分自身、どうして、厭世的な性格になったのかわかりません』
・『友人が私の厭世的な気分を晴らしてくれました』
「悲観的」の例文
・『悲観的な言葉ばかり発していると幸せにはなれない』
・『悲観的な人生よりも楽観的な人生の方が、きっと幸せだと思う』
まとめ
「厭世的」と「悲観的」には、以上のように、人生や世の中に対し希望を持てないことを意味するのか。
それても、すべての物事に対し希望を持てないことを意味するのか。
といった違いがあります。