この記事では、「雨垂れ石を穿つ」と「塵も積もれば山となる」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「雨垂れ石を穿つ」とは?
一度に取り組むのではなく、小さいものでも集中して学び、習得しては長きに渡って持続させることを「雨垂れ石を穿つ」【あまだれいしをうがつ】といいます。
分からないか諦めるのではなく、自分なりに努力して存続させたり、続けるため行動するのが大事なのです。
小さな雨粒の力では石に穴を開けるのは難しいですが、何度も打ち付ける事で開くという意味からきていることわざになります。
「塵も積もれば山となる」とは?
小さな塵であっても、積もれば大きな力になるという意味があるのが「塵も積もれば山となる」【じんもつもればやまとなる】といいます。
小さな塵は物にならなくても時間をかければ大きな力を発揮するところから、能力が無い者であっても持続して、努力すれば大きな成果を出す者になるという意味として使われている言葉です。
「雨垂れ石を穿つ」と「塵も積もれば山となる」の違い
「雨垂れ石を穿つ」と「塵も積もれば山となる」の違いを、分かりやすく解説します。
自分にとってあまり影響はないものであっても、努力していくことで成果に繋がるという言葉が「雨垂れ石を穿つ」といいます。
もう一方の「塵も積もれば山となる」は小さな塵であっても、積もれば大きな山となり、良い成果に繋がるという意味で使われている言葉です。
やっているうちに驚くほどの結果をもたらす場合もあるので、途中で諦めず時間をかけてでもやるべきという意味で使われています。
「雨垂れ石を穿つ」の例文
・『感染症の原因がようやく見つかったのも、まさに雨垂れ石を穿つだ』
・『雨垂れ石を穿つを胸に努力したかいあって、選手が好成績を残した』
「塵も積もれば山となる」の例文
・『1日30分しか勉強しなくても、いずれ塵も積もれば山となる』
・『たとえ1円でも20年貯めれば7300円にもなり、旅館に泊まれる』
まとめ
結果というものは努力する必要があるという意味で使われていることわざです。
どのような場面で使えばより意味をうまく伝えられるか学んでみましょう。