この記事では、「世知がない」と「世知辛い」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「世知がない」とは?
世渡りがしにくい現実に解決策が思い浮かばず、困る人の気持ちを表すのが「世知がない」【せちがない】です。
世の中、なぜこれほどまでに人を苦しめるような困難が起こるのか嘆き、苦痛に感じて落ち込む人の心がこもった言葉になります。
ただ、本来ならば「世知辛い」といった言い方するのが正しいのですが、間違って例えてしまった言葉として多くの人が使っているわけです。
「世知辛い」とは?
自分が思うように快適な生活ができない世の中が辛く感じることを「世知辛い」【せちがらい】といいます。
世の中を上手く渡れず、どこかでつまずいてしまう問題が起きてはうまく前に進めない自分の状態に困る気持ちを表す言葉です。
それだけ生活にはお金がかかって満足いく暮らしができなかったり、仕事で失敗してクビになるなど辛い現実に悩み、悶える気持ちを表します。
「世知がない」と「世知辛い」の違い
「世知がない」と「世知辛い」の違いを、分かりやすく解説します。
本来ならば「世知辛い」が正しい言葉なのですが、普段から「世知がない」といった言い方する人が増えたので、世間的にこの言い方が広く認識されているのです。
もう一方の「世知辛い」はかなり酷い現実にぶち当たり、うまく解決できず落ち込む日々が辛すぎて暗くなると嘆く人の気持ちが込められています。
元々は仏教用語であり、抜け目がない人が増えた現実に生活しにくい気持ちを表す言葉です。
「世知がない」の例文
・『理不尽で世知がない上下関係が厳しい建築から転職する人が多い』
・『家族を騙して財産を奪い取る人が多い世知がない現実に背を向けた』
「世知辛い」の例文
・『出世のために人を裏切る世知辛い大人ばかりで人生が暗くなる』
・『味が少しでも変わると客が来ない世知辛い業界は競争社会だ』
まとめ
意味が同じ言葉を2つ取り上げましたが、公的に使われているのが「世知辛い」であり、「世知がない」は間違って広まり、今や多くの人が使う言葉となっているわけです。