「あぶれる」と「あふれる」はそれぞれどのような意味でどういった違いがあるのでしょうか。
この記事では、「あぶれる」と「あふれる」の違いを分かりやすく説明していきます。
「あぶれる」とは?
「あぶれる」とは、「ありつけないこと」を表す言葉です。
求めていたものを苦労しやっとのことで手に入れるさまを「ありつく」といいます。
手に入れないと大変なことになるようなものをなんとかして手に入れる様子を指す言葉です。
「あぶれる」はありつけない、つまり他の人たちは求めていたものを手に入れているのに自分だけは手に入れられていない状態を表す言葉です。
一般的には他の人たちは仕事を見つけているのに自分だけ仕事にありつけないでいる状態を指す言葉として使います。
その他には自分だけ食事を確保できない、パートナーが見つからないなど「他の人たちは満たされているのに自分だけが満たされていないさま」を指す表現です。
「あふれる」とは?
「あふれる」とは、「多すぎてこぼれること」を指す言葉です。
あるものが受け入れられる容量に対し入ってくるものが多すぎて受け入れきれずにはみ出してしまうさまを表します。
「あぶれる」と「あふれる」の違い
「あぶれる」と「あふれる」の違いを、分かりやすく解説します。
「あぶれる」は他の人は満たされているが自分だけが得られず満たされていないさまを表すのに対し「あふれる」は上限が超えるほどの量により限界を超えてこぼれる状態を表しており意味が全く異なります。
「あぶれる」の例文
・『仕事にあぶれる』
・『次々にカップルが成立している中で1人だけあぶれる』
「あふれる」の例文
・『大雨で増水した川があふれる』
・『水を注ぎすぎてコップから水があふれる』
まとめ
「あぶれる」と「あふれる」の違いは濁点の有無のみですが、たったそれだけの違いで言葉としては全く別物になります。
言葉の意味には全く共通点がないので間違えないよう注意してください。