「益子焼」と「笠間焼」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「益子焼」と「笠間焼」の違いとは?違い

主力が黒系と赤系陶磁器の違い?この記事では、「益子焼」「笠間焼」の違いを分かりやすく説明していきます。

「益子焼」とは?

栃木県芳賀郡益子町周辺で作られる陶磁器の総称。

その始まりは幕末の嘉永年間に笠間藩で修行を積んだ大塚啓三郎氏が故郷の下野国益子で開窯した事から始まりました。

砂質で気泡を含んだ陶土は白っぽい事で有名。

また焼成後は黒化しやすいため、釉薬を使い青黒化や白化粧を施すのが一般的です。


「笠間焼」とは?

茨城県笠間市、江戸時代の常陸国茨城郡笠間の笠間藩主牧野貞喜の時代に財政再建を兼ねた藩政により大きく飛躍を遂げる事になった窯業と言っていいでしょう。

元々は1770年代に起ち上がった箱田焼と宍戸焼がその根源となっているとされます。

前述した通りに藩の財政難を解消するために成貞系牧野家6代の貞喜以降7代貞幹、8代貞直を通じて窯業保護政策を採用。

御用窯である仕法窯を設置し、振興奨励した事で関東屈指の磁器産地として発展していく事になりました。


「益子焼」と「笠間焼」の違い

「益子焼」「笠間焼」の違いを、分かりやすく解説します。

益子焼は関東ローム層から採土できる笠間粘土により、笠間焼の成立以前から縄文土器や弥生土器、奈良時代の窯跡など窯業が隆盛する土壌が既にあったと言っていいでしょう。

特徴はその粘土の質。

粘土だけに当然粘りが強く、成形が容易。

さらには鉄分を含むため窯焼後に発色します。

一方の「益子焼」は当然陶磁器の作製に適した土が使われていますが、粘土質ではなく気泡を多く含んだ性質の陶土と言っていいでしょう。

このため繊細な質感や細工よりも厚く質実剛健な作風を持ちます。

またその陶土の性質上焼成後は黒化しがちである事から糠白釉で白化粧させ、コントラストを醸し出しているのも特徴だと言えます。

まとめ

「益子焼」は幕末に常陸国笠間藩で笠間焼の窯元で修行を積んだ窯祖により、下野国芳賀郡益子で興されました。

一方の「笠間焼」は江戸時代中期に常陸国で起こった箱田焼と宍戸焼がベースとなり、笠間焼に発展。

笠間藩の財政再建により、窯業の振興奨励と保護政策を受けて発展していく事になりました。

大きな違いは陶土の違いと言ってよく、前者は砂と気泡を含んだものであり、細かい細工が困難であるがゆえに厚手のぽってりとした仕上がりになりました。

現在では逆にそれが「益子焼」の特徴として顕在化されています。

後者は古代から粘土質の陶土の産出地だったのは間違いありません。

縄文土器や弥生土器、奈良時代の窯跡が見つかるなど窯業が発展する背景がありました。

関東ローム層から採掘される笠間粘土は成形しやすく、鉄分が豊富で焼成後に鮮やかな赤や橙系の発色を起こします。

前述した「益子焼」の陶土がその性質から黒化するのとはまさに対照的だと言えるでしょう。

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