この記事では、「高句麗」と「高麗」の違いを分かりやすく説明していきます。
「高句麗」とは?
高句麗とはかつて朝鮮半島の北部と中国北部にあった国家で、紀元前1世紀頃から668年まで存在していました。
高句麗と書いて「こうくり」と読みますが、高麗(こうらい・こま)と呼ばれることもあります。
朱蒙という人物が建国したといわれています。
高句麗の時代には朝鮮半島の南部に百済や新羅といった国があり、朝鮮の歴史においては三国時代と呼ばれます。
中国の王朝である隋や唐から攻撃を受け何度も撃退していますが、668年に新羅と手を組んだ唐によって668年に滅ぼされました。
「高麗」とは?
高麗は朝鮮王朝の1つで、918年から1392年の間存在していました。
王建という人物が建国したといわれています。
新羅や百済を征服して936年に朝鮮では初となる統一王朝を築きました。
11世紀頃に全盛期を迎えますが、その後反乱が起こり中国王朝である元の属国となります。
元寇と呼ばれる日本への遠征にも参加し、徐々に衰退していきました。
そして1392年に李成桂によって滅ぼされます。
「高句麗」と「高麗」の違い
高句麗も高麗も昔存在していた朝鮮半島の王朝ですが、時代には違いがあります。
高句麗は紀元前1世紀頃から668年まで存在していた王朝で、高麗は918年から1392年まで存在していた王朝です。
高句麗は高麗と呼ばれることもあるので、区別がつきにくいです。
そのため紀元前1世紀頃から668年まで存在していた王朝は、高麗ではなく高句麗と呼ぶことが一般的になっています。
それから高句麗の時代は三国時代で、朝鮮半島には新羅や百済がありました。
高麗は新羅や百済を征服し、統一王朝となっています。
まとめ
高句麗と高麗は朝鮮半島の王朝ですが、存在していた時代が違います。
先に存在していたのが高句麗で、その後誕生したのが高麗です。
高句麗は高麗と呼ばれることもあるので間違い安いですが、最近では高句麗という呼び名が浸透しています。