この記事では、「絵踏」と「踏絵」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「絵踏」とは?
キリスト教の信者であると見破るため、住民に絵を踏ませる行為を「絵踏」【えぶみ】といいます。
17世紀に入ると、日本国内にキリスト教を広めるため海外から宣教師が入国してきました。
外国人が出入りしやすい開かれた港がある長崎県を中心に、信者を得とくしようと村人を集めて宗教の魅力を伝えたのです。
しかし、これを危険と感じた幕府が鎖国政策を打ち出す際に、キリスト教を国内から追放すべく弾圧するため「絵踏」という対策を指す政策になります。
「踏絵」とは?
キリストに関連する絵を踏むか踏まないで、キリスト教の信者であることを見破るために用いたものを「踏絵」【ふみえ】といいます。
踏む絵にはマリアやキリスト像があり、心神深い信者であればたいていは足の裏で踏むといった行為を出来ずに終わるわけです。
もしも踏めなければ熱いお湯の入った容器に入れられたり、糞尿が入った肥溜めへ逆さに落とされるといった過酷な刑罰を受けなければなりません。
磔刑【たっけい】や死刑になるなど、徹底した弾圧しました。
用いられたものはキリスト教に関連した重要人物が描かれた板や紙でしたが、そのうち真鍮製を使うようになります。
「絵踏」と「踏絵」の違い
「絵踏」と「踏絵」の違いを、分かりやすく解説します。
江戸幕府は鎖国制度を勧めるため、国内で信者を増やしていたキリスト教を弾圧すべく打ち出した制度が「絵踏」でした。
早くに信者を見つけるため打ち出したのがキリストの絵を足で踏むか踏まないかで見破る方法だったのです。
長崎県を中心に行われていた「踏絵」は、国内にいるキリスト教徒であるか見破るために行われました。
踏まなければ重い刑罰か死刑になりますが、心から深く信仰する信者は裏切りません。
幕府が踏ませる絵はキリストやマリア像が中心で、姿が描かれている絵は恐れ多くも踏めないのです。
献身的な信者は絵を踏むくらいなら命を差し出す者は少なくありませんでした。
まとめ
日本でキリスト教徒を集めるため活動していた宗教に危機を感じた江戸幕府は、絵を踏ませて信者か見破る方法を用いました。
そんな「踏絵」は人が足で踏む行為で、「絵踏」は幕府が打ち出した政策と覚えておきましょう。