この記事では、「認識論」と「存在論」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「認識論」とは?
今いる立ち位置とは違う外の世界に目を向けて、自分なりにどう認識して受け入れるか論じることを「認識論」【にんしきろん】といいます。
例えば、人間が生まれた起源を辿り、どのようにして進化したかを考えるのです。
さらに、行動範囲や生態について知識を得たり、人間が持つ限界はどの程度か考察するのもこの「認識論」の楽しさになります。
「存在論」とは?
なぜ自分は存在しているか自分なりに論じることを「存在論」【そんざいろん】といいます。
ときに、人間が地球上で存在するのはなぜか論じたり、植物にはなぜ多くの種類があるか、動物の生態系が崩れに残っているのは何故かといった存在について問うことを指すのです。
また、存在を考察し、意義を解明するといった「存在論」を明確化した最初の哲学者にパルメニデスがいます。
「認識論」と「存在論」の違い
「認識論」と「存在論」の違いを、分かりやすく解説します。
科学哲学というフランスで誕生した方法論の一つとして世界中に広まり、科学認識論として日本では認知されているのが「認識論」です。
人間があえて外の世界に目を向けるとき、理性と感覚を持ってどのように事物を認識するかに焦点を当てています。
もう一方の「存在論」は、地球上に存在するありとあらゆるものには何かしらの意味があることを論するのが「存在論」です。
存在の根本的な規定を論ずるのが目的であり、一般的なものから世界の構造にいたるまで目を向けます。
「認識論」の例文
・『認識論の一部である錯覚現象について研究が進められた』
・『人は物事をどう理解し、間違うか研究するのも認識論である』
「存在論」の例文
・『若者の間では、基礎よりも未来を担うメタ存在論を議論する』
・『存在論を学ぶなら、マルティン・ハイデガーの哲学を身に付けたい』
まとめ
哲学には様々な論がありますが、あまり難しく考えずにどのようか目を向けて、興味があれば深堀してみるのもいいでしょう。