この記事では、「論理観に欠ける」と「論理観がない」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「論理観に欠ける」とは?
人が歩く正しい道をそれて、罪を犯してしまうことを「論理観に欠ける」【りんりかんにかける】といいます。
道理がない行為する人を指す言葉であり、人間として必ず守るべき常識に欠けていて、万人に共通した秩序を守れないため人生を正しく生きられない者を指すのです。
規則を守らないだけでなく、周囲の人の立場を考えない発言して驚かせる場合もあります。
「論理観がない」とは?
人として、その行為は本当に正しいのかと自分に問いただすわけでもなく、開き直るのが「論理観がない」【りんりかんがない】といいます。
この論理観がまったくない人は結婚しているのに浮気を繰り返したり、犯罪を何度も犯すといった非人道的な行動を見せるのです。
このように、自分が犯した罪を論じて反省するのではなく、犯罪に巻き込まれた側を酷く責めるといった行動を見せます。
「論理観に欠ける」と「論理観がない」の違い
「論理観に欠ける」と「論理観がない」の違いを、分かりやすく解説します。
社会で決められた規則を平気で破る「論理観に欠ける人」は他人の物を奪ったり、人を泣かしても反省しないといった姿を見せる場合があります。
また、待ち合わせ時間を守らない、自分がやりたいように事を進めるといった困る人間性を見せるのです。
もう一方の「論理観がない」人は自分が周囲からどのように見られているかを考えないばかりか、感謝する気持ちさえありません。
「論理観に欠ける」人よりも、救いようがないほど社会的な常識を守らない卑劣な人を指すのです。
「論理観に欠ける」の例文
・『経営者が周囲に目を向けない論理観に欠ける人だと、店は潰れてしまう』
・『親が論理観に欠けていると、子供も同様に感情を抑えきれない人になる』
「論理観がない」の例文
・『論理観がない人はお金を管理できなかったり、欲求を抑えきれない』
・『共感する能力がなく、自己中心な論理観がない人は嘘をつく』
まとめ
社会的にやってはいけないというのに、守れない論理観が欠如していたり、まったくない人を指す言葉をご紹介しました。
相手はどのような人か目を向けて、使い分けてみましょう。