この記事では、「教養」と「修養」の違いや使い方を分かりやすく説明していきます。
教養と修養の違い
「教養」とは、学問、精神の修養などを通して得られる、心の豊かさ、理解力のこと、またその手段としての文学や宗教などの活動を意味したり、生活を送るうえで必要な文学に関する知識のことを意味したりします。
「修養」とは、知識を習得し、品性を磨き、自分自身をより高いものへと作り上げていくことです。
「教養」の場合は、学問、精神の修養、幅広い知識によって行われます。
そして、「教養」という言葉が指す意味は、理解力や広い知識、感性のことです。
一方、「修養」は、主に文学を修めることによって行われます。
知性を高め、品性を磨き、自分自身を作り上げていくことを意味します。
「修養」とは異なり、「教養」には「自分自身を作りあげる」という意味は含まれていません。
教養と修養の使い方の違い
「教養」は教育現場でよく使われている言葉です。
日本では小学校と中学校が義務教育で、ここで学ぶことは専門的なことを学ぶ基礎となる「教養」とされています。
「修養」は自分の人格形成に努めることであり、自分自身に対して使うことがある言葉です。
人格を磨き高めたいとき、磨き高めるように努めるべきであるときなどに使われます。
教養と修養の英語表記の違い
「教養」は英語では“culture”や“Liberal arts”と表記します。
文化、芸術などを意味する言葉で、日本語が意味する「教養」にはピッタリとあてはまらないかもしれません。
また、「教養がある」は“Well-educated”といったりします。
「修養」は英語では“Training”や“culture”と表記します。
教養の意味
「教養」は、身についている知識のことです。
単に知識のことではなく、心の豊かさや物事への理解力なども含んでいます。
また、社会生活を送るうえで必要とする知識のことも意味します。
「教養がある人」というと、社会生活を送るうえでのマナーを知っており、実際に行動に移している人を指します。
挨拶をする、身のこなしが丁寧、人に不快な思いをさせないように配慮する、言葉遣いが美しいといった人は、教養があるといえるでしょう。
また、古典や歴史書などを読み、幅広い知識に触れることで、心の豊かさが養われていきます。
「教養」は時代とともに変化し、古くは漢詩や和歌を学ぶことが「教養」とされていましたが、現在は漢詩を学んでいないから、和歌を作ることができないからといって「教養がない人」とはいわれません。
教養の使い方
「教養」は幅広い知識のことです。
知識は、ある・なしでいうことができるので、「教養がある」「教養がない」といった使い方ができます。
また、知識を高めていくことはできるので、「教養を高める」という使い方もされます。
教養を使った例文
・『教養を身につけておきなさい』
・『教養に富んだ人だ』
・『教養のある知人のようにものわかりがいい人』
・『教養なんてありません』
・『日本人なら身につけておきたい教養』
教養の類語
類語は「学問」です。
学問とは、勉強をして得た知識と見識のことを意味します。
「教養」の場合は心の豊かさという意味を含んでいますが、「学問」は単に知識のことです。
教養の対義語
対義語は「無知」です。
無知とは知識がないことを意味します。
しかし、「教養」は知識の有無だけでなく、心の豊かさのことも意味しているので、ピッタリとあてはまる対義語ではありません。
修養の意味
「修養」とは、学問を納めて知識を高め、品性を磨いて、自己を形成していくことです。
人格を高めていくことを意味しています。
人格を高めるための手段として使わるものが学問です。
仏道に入って鍛える、武術を修めるなどによっても人格を高めていくことは可能ですが、「修養」には仏道に入ることなどの意味は含まれていません。
仏教に関係する場合は「修行」という言葉を使います。
修養の使い方
現在、話し言葉として「修養」が使われる機会は減っています。
自分自身を高めること、自己の形成に努めることを意味するときに使われます。
修養を使った例文
・『ひそかに修養をする』
・『この性質は修養によるものだ』
・『修養に励む』
・『修養を積んだ人』
・『修養のために読むべき本』
修養の類語
類語は「修行」「修業」です。
修行とは、もともとは仏教用語ですが、現在は技術を磨くことなど幅広いことに使われています。
「修業」は学問や技術を身につけることです。
修養の対義語
「修養」の対義語はありません。
自己の形成に努めることを「修養」というので、それを怠っているという意味で「怠惰」が対義語になるといえそうです。
まとめ
どちらの言葉も学問にかかわっていますが、「教養」は単に知識のことだけではない意味を含む点が「修養」とは異なります。